映画「PERFECT DAYS」~喪失と再生の物語~パートⅡ
観たのは2回目でした。映画館を出てから、駅に向かう途中で「生きる悲しみ」という言葉が、ふと心に浮かびました。
過去に読んだ「生きるかなしみ」(山田太一・編)という本の影響なのでしょうか? 平山(役所広司)も含め、この映画の登場人物が、それぞれの悲しみを内に秘め、それでも生きなければいけない「悲哀」に、目を向けたせいなのかもしれません。
悲哀といえば、居酒屋のママ(石川さゆり)が唄った「朝日のあたる家」に心を動かされました。「孤独」や「絶望」、そして「悲しみ」を帯びたメロディーと歌詞に胸が熱くなったのです。気になったフレーズがありました。
平山は映画の後半で妹に再会しますが、歌詞のような絶望感はないと思います。ヴィム・ヴェンダース監督がインタビューで語っているように、今の「境遇」に流れ着いたわけではなく、自分で選択したからです。
「生きる悲しみ」という視点から、この映画を解釈したつもりでしたが、平山は「悲しみ」を抱くのでなく、逆に手放している気がするのです。拘らないのです。今を大切に生きているのです。
姪のニコに彼は言います。「今度は今度。今は今」と。平山の生き方を象徴する言葉だと思います。未来にも、過去にもとらわれない、今この瞬間を生きているのです。そして、楽しんでいるのです。
ヴィム・ヴェンダース監督が「木漏れ日」を通して伝えたかったのは、「生の儚さ」と「一瞬一瞬を大切に生きる」という人生観だったのかもしれません。
上映が18時だったので、空いた時間に映画の中にも出てくる「恵比寿公園トイレ」に行って来ました。平山さんはいませんでした。もしも会ったら、声を掛けたと思います。
私「平山さん、今度さゆりママのお店で一杯飲みませんか?」
平山「えっ、今度? 今度は今度。今は今」
おあとがよろしいようで🙇♀️
「この世界は、本当はたくさんの世界だ。繋がっているように見えても、
繋がっていない世界がある」予告編のセリフから