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越境

机の上
白い茶碗に盛ったご飯の上で
おにぎりのために
張り付けたのりはしおれていた
そのとき気づいた
何かが
永遠に過ぎ去ってしまったと
今も永遠に
過ぎ去っているところだと

動けなくなって、
ずっとそのまま固まっていた。

ただ、
時間が過ぎていくのを
秒針が動いていくのを
眺めていた。

空が暗くなってきて
指先の逆むけを剥ぎ取る
自分に気づいた

ちょっと動けるようになっていた

やっとの思いでコンビニまで歩き、弁当を買った。

ぽっかり浮かぶ月の下で、寒い中、夜のコンビニの明かりがぼんやりと宙に浮いていた。
やっと戻ってきたかと思った

でも、
そのままの足で公園に向かおうとした時、急にアスファルトの冷たさが胃まで込み上げてきて、咄嗟に持っていたビニール袋に嘔吐した。


壊れそうなものをギリギリでとどめておくとき、いつも決まって幻覚を見る。



21歳になった女が1人で部屋に寝ている。
雪がまだ溶けない土曜日の朝、女は、死んだ赤ん坊を埋葬しに、スコップを持って裏山へ行く。目は腫れていて、よく開かない。体のあちこちの関節が、腫れ上がった指の節々がひりひりする。
一瞬、
彼女は初めて胸に変化を感じ、体を起こして座り、ぎこちなく乳を搾る。それは最初のうちは水っぽく、黄色がかっているが、やがて真っ白な乳が流れ出てくる。


しなないで、しなないでお願い。

今、あなたに、私が、白いものをあげるから。

汚されても、汚れてもなお、白いものを。

ただ白くあるだけのものを、あなたに託す。

私はもう、自分に尋ねまい。

この生をあなたに差し出して悔いはないかと。






だが忘れてしまった。あの時の激情がうすれていくのを感じて、悔しさにうつむいた。

そうして決意するのだ

激情は消えようとも、
しっかりと記憶しておこうと。


どこからか声が聞こえる。






そしてそれが演劇だと知る。

その瞬間、強い照明が天井から降り注いで彼女を照らした。舞台以外のすべての空間は真っ暗な海になった。客席に誰かいるなどとは実感できない。彼女は混乱していた。あの、海底のような闇の奥底へ手探りで降りていくべきなのか。この光の島でもちこたえることができるのか。
波は迫ってくる。
岸辺に、
目を多く持つ男が立っている。

「私は何者か?私は何者か?」

複眼の男の手の上の蛹はいよいよ激しく動き出し、
それに合わせて彼の目もあちこち動き回った。
苦しみの惑星がまさに生まれる瞬間のようだった。

彼の目は石英を含ませたように爛々と輝きを放っていた。

だがそれは輝いているのではなく、一部の個から流れる、針先より細い涙なのだった。

「傍観するだけで介入できない、それが私が存在する唯一の理由である。」

己の目を指して複眼の男は言った。

途端に、彼の目は全て一つの方向に定まった。



幻覚は消え、コンクリートが見える。


白い絶望が、頭痛を覆い隠した。

やっと、歩けるようになって、
公園に向かう

とっくに冷めた弁当を、口に詰め込む。





でも、

できることなら。

どうかできることなら。

死なないで。

死なないでください。



だが、

出来事は過ぎ、

彼女は死に、

私は今も泣いている

参考引用
『複眼人』
『すべての、白いものたちの』


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