遊郭・赤線跡をゆく 和歌山の隠れた私娼窟!新開地こと『湊新地』
和歌山県には、戦前を通して公娼である遊郭が3ヶ所しか存在しませんでした。新宮・大島・由良の3ヶ所なのですが、新宮以外は地名すら聞いたこともない僻地、地元民以外で場所をノーヒントで特定できれば、とんだ地理オタクです。
なぜ、和歌山には遊郭がこれだけしかなかったのか。県議会では常に新設の陳情がありその都度審議されたそうですが、その都度廃案になっています。
その理由の一つに、松山常次郎(1884-1961)という人物の存在があります。
彼は和歌山県選出の衆議院議員で、現在でも記念館があるほどの和歌山の名士でした。
そして、彼のもう一つの顔は…ゴリゴリのフェミニスト。
彼はクリスチャンとして博愛主義の立場に立ち、女性の立場の向上や婦人参政権、そして廃娼運動にかかわりその方面ではかなり有名な人だったそうです。
そんな人が地盤にしている和歌山県、そりゃ遊郭増やそうものなら松山が全力で潰してきますわな。
和歌山市には陸軍の連隊も置かれたのですが、和歌山市に遊郭作ってくれ~というリクエスト、陸軍から絶対あったはずです。しかし、結果的にできなかったことから見ると、松山の息は相当荒かったと思われます。
そんなわけで、和歌山市に遊郭が置かれることはなかったのですが、だからといって売春がゼロというわけではありません。
「うちには遊郭なんてありません!売春クリーン県です!」
と長年ドヤ顔をしてきた場所に、群馬県があります。グンマーは明治に廃娼県となり、昭和初期に埼玉県が廃娼県になるまでは公娼が置かれなかった唯一の県でした。が、実際は高崎や前橋など県内至る所に「達磨屋」「銘酒屋」と呼ばれた私娼窟(乙種料理店街)が花盛り。性病検査も義務づけられていたので、実態は遊郭そのものと言っても差し支えありません。
和歌山市も、実は同じ類たぐいでした。確かに遊郭は存在しなかったものの、そのぶん私娼窟がそこら中に咲いていたのが現実でした。
「和歌山市には遊郭がないからクリーンなのだ、はっはっは!」
とと豪語していたようですが、天王・阪和新地どころか自分の地元の高野山[efn_note]本人は九度山出身。[/efn_note]にまで売春窟(銘酒屋ならぬ「般若湯屋」?)があった実情をご存じなかったご様子で、
「何がクリーンじゃ!お前の目は節穴か!」
と和歌山市の私娼窟、そして県の性病罹患率の高さなどの現実を反・廃娼論者に指摘されると、声も出なかったそうです(『売笑問題と女性』P68-69)。
廃娼論者というものは、「遊廓さえなくなれば売春はなくなる」と視野狭窄に陥り、モグリの私娼や不見転みずてん(オプション料金を払えば股を開く芸者)は、あー見えない聞こえないとガン無視する傾向があります。が、松山はガチで知らずクリーンなのは自分の頭の中だけだったのかもしれません。
天王・阪和両新地が有名すぎて、市内には他にも私娼窟が何ヶ所か存在していたのは知られていません。
今回はそのうちの一つ、ほとんど見向きもされなかった、私でさえ最近の最近まで知らなかった私娼窟のお話。
和歌山市西部にあった私娼窟
私がそれを発見したのは、長期的に捜索している事柄の情報について、こんなん見つけましたで~とフォロワーさんから届いたある新聞記事からでした。
軍需景気で和歌山市の私娼窟が繁盛しまくって無法地帯と化したので「遊郭化」、つまり市内に散らばった私娼窟を、遊郭のように一つのエリアに集約するかもしれないという記事ですが、市内にある私娼窟に天王・阪和新地に並んである地域の名前が見えます。
その名は…「鼠島」
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