パルプンテのぶ

中の人は昭和レトロを探したり街を徘徊したり、遊郭・赤線跡を訪ねたりする人です。

パルプンテのぶ

中の人は昭和レトロを探したり街を徘徊したり、遊郭・赤線跡を訪ねたりする人です。

マガジン

  • 路上観察・探索

    近所や旅先をブラブラ、目的もなく彷徨い歩いて視界に入ったもの、それを見て感じたことを画像で記していきます。

  • 雑想・随筆

    ジャンルにこだわらない雑想・エッセイの類です。

  • 歴史を旅する

    日本近代史を中心とした歴史エッセイ。ある歴史を深掘りすると、今まで知らなかった意外なことが…

  • 遊郭・赤線跡をゆく

    消えた色街の跡を訪ねる

  • 私の昭和史

    昭和と共に歩んだ自伝的回想録

最近の記事

+4

【神戸市のお店紹介】神戸新長田のオムライス専門店「キッチンやすお」

    • 日本人のマイナス思考は遺伝子が決めていた!?

      日本人は、マイナス思考だとよく言われています。 この日本人マイナス思考説、我々も薄々は感じていることだろうと思います。しかし、その根拠となるとわからない。霧の向こうにある、実体はあると思うけれどつかめないなにかに近い存在です。 が、ある本を読んで衝撃の事実を知ってしまいました。日本人のマイナス思考は遺伝子レベルなのかもしれないと。 脳内にはセロトニンという、不安を和らげ精神の安定を保つ脳内物質が分泌されます。喫煙者がタバコを吸えずにイライラするのも、一言で言ってしまえば

      • 遊郭・赤線跡をゆく 田辺新地(和歌山県田辺市)

        南紀にあった花街ー田辺新地和歌山県、紀州南部紀南の地にあった花街。 厳密に言えば、ここは遊郭ではありません。花街は芸者が住み芸者と客が落ち合い酒を酌み交わす歓楽街。遊郭とは分けて考える必要があります。 が!花街研究者が「実際に行っていた行為に関しては、遊郭と明確な区別をつけるのは正直難しい」と述べているように、素人にはその線引きは難しいのです。 閑話休題。 田辺新地は、市内に散在していた料理屋・置屋の類を大正時代に市街地西部に集約したもので、田辺市商店街HPには大正7年

        ¥500
        • +3

          街角調査団 神戸市御影・魚崎【画像更新中】

        マガジン

        • 路上観察・探索
          2本
        • 雑想・随筆
          4本
        • 歴史を旅する
          2本
        • 遊郭・赤線跡をゆく
          6本
        • 私の昭和史
          1本

        記事

          日本の生命保険の祖は福沢諭吉だった!

          ◆What is 福沢諭吉?先日、ついに1万円の座を渋沢栄一に譲った福沢諭吉。 とはいえ、知らない日本人は誰もいないでしょう。 でも、何をした人?となると首をひねって考えてしまう人も多いのではないでしょうか。 千円札の野口英世は医学者、五千円札の樋口一葉は文学者とイメージと経歴がピタリと一致しています。しかし、福沢諭吉はなんだか漠然としかイメージできないでしょ。 しかし、サラッと答えられない理由も存在します。それは、とにかく色んな「顔」があって、特定の一つの分野で事を成

          日本の生命保険の祖は福沢諭吉だった!

          磐城棚倉藩としくじり大名、井上正甫

          近代史、特に昭和史をターゲットにしていることが多い拙記事ですが、今回はかなり珍しい江戸時代のお話となります。 1. 東北の訳アリ藩東北地方の最南端、白河の隣に棚倉という場所があります。 コロナもまっただ中に東北で仕事をしていたのですが、「みちのく一人旅」と勝手に名付けて旅をしていました。関西に住んでいると、東北は「日本語が通じる外国」「新幹線で行ける外国」感覚ですからね。 隣の白河藩のネームバリューが大きすぎて知名度は低いですが、ここには江戸時代、棚倉藩という藩が存在し

          磐城棚倉藩としくじり大名、井上正甫

          札幌すすきの 地名の由来を探偵する

          すすきのの歴史北海道、いや、東京以北では名実ともに最大の歓楽街だろう札幌のすすきの。「すすきの」という名前を聞くだけで心が小躍りしそうな脈動感に苛まれる人も少なくないと思います。 一昨年、念願の初北海道上陸を果たした私ですが、もし酒豪だったら、いや下戸じゃなかったらここで飲み明かすぞ~と財布のひもがgdgdに緩んだことでしょう。 酒が飲めないので余計な金が飛ばず幸と出たのか、せっかくすすきのまで来て酒を一滴も飲まず全く遊ばないのはもったいない不幸と出たのか…。 「すすきの」

          札幌すすきの 地名の由来を探偵する

          遊郭・赤線跡をゆく 白河編(福島県白河市)

          ■白河遊郭の歴史陸奥への入り口である白河。古くは歌にも詠まれた「白河の関」が置かれ、江戸時代には政治的・軍事的要衝として白河藩が置かれ、名門譜代大名が東北・関東の両方ににらみを利かせていました。 そんな東北の肝心要な場所柄、ヒト・モノ・カネも集まる経済の要衝でもあった白河。当然遊郭も存在していました。 今回は、名前は一度は聞いたことがある陸奥の玄関、白河の遊郭のお話。 白河の遊郭の由来は、市史においてもはっきりしないようです。が、遊女屋の出現は少なくても藩政時代にさか

          ¥200〜
          割引あり

          遊郭・赤線跡をゆく 白河編(福島県白河市)

          ¥200〜

          前世の記憶、ありますか?

          「1000年前の記憶がよみがえった日本人男性。 最近は「自殺未遂をきっかけに1000年前の記憶がよみがえった日本人男性」が大きな話題となっているが、(以下略)」 どうやらこの世には、1000年前の記憶を持つ人がいるらしい。 1000年前と言えば平安時代。源氏物語の絵巻物の時代。 平安時代と現代の日本語は、同じ日本語でもかなりかけ離れているはず。前世のままならほぼ解読不可能だと思うのだが、そこは如何なのだろう・・・。 と、頭が少々「科学的」な私は前世ロマンをぶち壊しにするよ

          前世の記憶、ありますか?

          遊郭・赤線跡をゆく 天王新地の歴史と現在(和歌山県和歌山市)

          遊郭・赤線跡探索がライフワークとなっている私ですが、興味の範囲はあくまで歴史であり過去。「現役」には見向きもしません。 なので、和歌山県にいくつ「現役」があるのか、それはわからないし興味もない。 そんな私でも、和歌山県で唯一知っている場所があります。それが今日のお題、天王新地。 ■天王新地の歴史「業態者集団地域ニ関スル調」という、内務省衛生局(厚生労働省の前身)の資料(復刻版)が、私の手元にあります。 衛生局なので花柳病(性病)の蔓延の実態調査報告なのですが、業態者集団地

          ¥500

          遊郭・赤線跡をゆく 天王新地の歴史と現在(和歌山県和歌山市)

          ¥500

          大阪の遊郭と空襲-飛田新地は燃えたのか?!

          大阪の遊郭の空襲被害先の戦争時、周知のとおり大阪も空襲の被害を受けました。大阪府全体で死者12,620人、行方不明者2,173人だと言われ※1、一説によると15,000人を超えているとも言われます※2。 大阪の空襲については様々な側面から様々な形で語られていますが、果たして遊郭の被害はどうだったのか。ネットで調べても確たる資料がありません。 ※1:1945年10月大阪府警察局調べ ※2:ピースおおさか調べ ならば、私の出番。誰も書いてないなら私が書こう。 ここで大阪の遊郭

          ¥200

          大阪の遊郭と空襲-飛田新地は燃えたのか?!

          ¥200

          ファミコンの名ゲーム 高橋名人の冒険島

          ◆ゲーム界の英雄、その名は高橋名人ファミコンの隆盛は、ゲームメーカーの百家争鳴の時代でもありました。ナムコ、コナミ、エニックスにスクウェア…挙げていくとそれこそキリがありません。 その中に、ハドソンというメーカーがありました。かなり優秀なメーカーっだったのですが、そんなハドソンにはファミコン史を飾る優秀な宣伝要因を擁していました。 彼の名は、高橋名人。 日本、いや世界初かもしれない「プロゲーマー」。プロといってもご本人はハドソンの社員で、ただの…失礼、プロのサラリーマン

          ファミコンの名ゲーム 高橋名人の冒険島

          遊郭・赤線跡をゆく 和歌山市内の隠れた私娼窟!新開地こと『湊新地』

          和歌山県には、戦前を通して公娼である遊郭が3ヶ所しか存在しませんでした。新宮・大島・由良の3ヶ所なのですが、新宮以外は地名すら聞いたこともない僻地、地元民以外で場所をノーヒントで特定できれば、とんだ地理オタクです。 なぜ、和歌山には遊郭がこれだけしかなかったのか。県議会では常に新設の陳情がありその都度審議されたそうですが、その都度廃案になっています。 その理由の一つに、松山常次郎(1884-1961)という人物の存在があります。 彼は和歌山県選出の衆議院議員で、現在でも

          ¥300

          遊郭・赤線跡をゆく 和歌山市内の隠れた私娼窟!新開地こと『湊新地』

          ¥300

          奈良県志都美神社にある遊廓の面影

          奈良県香芝市には、志都美神社という神社があります。平凡に読むと「しとみ」なのですが、関西あるあるでふつうには読まず、「しづみ」と読みます。「しとみ」と読むと、実は別に「志等美神社」があるというややこしい名前です。 伝武烈天皇陵の裏手にあり、それと何らかの関係があると思われる神社なのですが、由来など詳しいことはよくわかっていません。 現存する本殿は江戸時代中期の建立と伝えられており、神社内にある奉燈には「宝暦六年」の文字があったので、1756年にはこの神社があったと考えられ

          奈良県志都美神社にある遊廓の面影

          遊郭・赤線跡をゆく 萩・弘法寺遊郭と芳和荘(山口県萩市)

          ■芳和荘−萩に残る「遊郭旅館」山口県の萩市。江戸時代は毛利藩の城下町であり、維新の志士たちを生んだこの町に、かつて遊郭の貸座敷を使った旅館があります。名前は芳和荘。 昭和33年(1958)、売防法完全施行で赤線が廃止になった際、そのまま赤線業を続けるわけにはいかなくなった業者たちは、当然ながら他の職業に転職せざるを得なくなりました。 現役の所も表向きは「転業」したということになっており、いろいろあって「営業」しているのですが、ほとんどの赤線は旅館や下宿、アパートなどに鞍替え

          ¥300

          遊郭・赤線跡をゆく 萩・弘法寺遊郭と芳和荘(山口県萩市)

          ¥300

          【遊郭・赤線跡をゆく】立石特飲街(東京都葛飾区)

          東京の下町にあった小さな赤線戦後の混乱がやっと落ち着きつつあった昭和20年後半、東京には15~6ヶ所の赤線が存在していたといいます。青線や街娼のたまり場などを入れると「東京中が赤線だった」と当時の新聞記者が嘆いたように、掃いて捨てるほど存在していたのでしょう。 今日の赤線は、そんな東京の赤線の一つ、東京都の葛飾区、立石の紹介を。 立石の旧赤線のはだいたいこの区域です。 立石駅の北口の北部、商店街の道筋にある「立石駅前交番」の裏近辺が赤線地域と昔の資料にありますが、『全国女性

          ¥350〜
          割引あり

          【遊郭・赤線跡をゆく】立石特飲街(東京都葛飾区)

          ¥350〜