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ぬれない傘



最近は雨ばかりだ。
私の家には傘が全然ないんだよなぁ。困るなぁ。
そんなことを思っていたら、一つ、高校からずっと持っている傘があることを思い出した。
すっかり部屋のインテリアになっていて、傘であることを忘れていた。
その傘は雨の日も晴れの日も傘として使われることはほとんどない。
部屋の中で久しぶりに開いた。やっぱりかわいい。
くるくる回しながら傘の模様を見てるうちに高校時代のある日を思い出した。


この傘は高2のときに母からもらった。
取手がパンダの顔でかわいい傘。
明るい紫の生地に、くまとかバンビとかカエルとかキノコとか色々ごちゃごちゃ描いてあって、うるさいくらい賑やかな傘。
もう高校生なのに幼稚園生みたいな傘。
母からプレゼントをもらうことなんてなかったから、幼稚園生の傘でも私は嬉しくて嬉しくて毎日カバンに入れて持ち歩いていた。
傘をもらってから、はじめて雨が降った日は今でも忘れない。

確かもうすぐ梅雨に入るくらいの時期。
どんよりした早朝。
まだ誰もいない学校の駐輪場に自転車を止めると急に雨が降ってきた。駐輪場から校舎までは遠い。私はあの傘のことを思い出して、うきうきしながらリュックから傘を出して広げた。
開いた傘はやっぱりとても賑やかで可愛いくて私は鮮やかな住人たちを裏から眺めて意気揚々と校舎へ歩き出した。

しかし、しばらく歩くうちに私はその傘を閉じて胸に抱いて歩き始めた。
急に怖くなった。
こうして使っていたら、きっといつか古くなって捨てる日が来るんじゃないか。いつか汚れて壊れてしまうんじゃないか。もらった時の嬉しい気持ちもいつか忘れてしまうんじゃないか。
そう思って急に怖くなった。

まだ雨は降っていたが自分が濡れることは構わずに歩いた。玄関に着くまでにリュックも制服もすっかりびしゃびしゃになって少し寒かったが気にしなかった。
傘は傘立てに置かずに教室まで持っていった。


まだ誰もいないと思った教室には、みっちーくんがいた。サッカー部のみっちーくん。サッカー部なのにチャラチャラしてなくて、おとなしいみっちーくん。話してるところをほぼみたことのないみっちーくん。とても優しい顔をしている。
彼と話したことはなかったけど2人きりなのでおはようと挨拶した。彼もおはようと返した。
彼の声が思っていたより大きくて少し驚いていたら、なぜ傘を持っているのにそんなにびしょ濡れなのか尋ねられた。

私はずぶ濡れの自分が急に恥ずかしくなって、おでこの水を手で拭いながら言い訳を考えた。
でもどうしても思いつかなくて、仕方がないので正直に言うことにした。
「お母さんにもらった傘なの。初めて使おうとおもったんだけど、なんかもったいない気がして。途中からさすのやめちゃった。変だよねー。」
初めての会話。初めての会話でこれだ。
きっと馬鹿だと思ってるだろう。
そう思ってチラッとみっちーくんの方を見ると、彼は笑うわけでもなくずぶ濡れの私をじっと見ていた。

クラスメイトに嫌われた。まあこんなこともあるか、と思いながら私は自分の席に荷物を下ろして座った。
するとみっちーくんはおもむろに自分のカバンからゴソゴソと何かを取り出して、私の席の前まで来た。
私は困惑して、ただ彼の顔をぼーっと見ていた。
彼は今度は静かな声で、「大切なら、一緒に。」
とだけ言って私の傘を拭き始めた。
彼がカバンから出したのはティッシュだったようだ。少し驚いたけれど、どうしたらいいかわからなかったので、私もリュックからティッシュを出して傘を拭いた。
彼は「不思議なことしてるけど、少し楽しいね」と笑っていた。
他にもなにか話したと思うけれど、もう覚えていない。
雨の音がする朝の教室で静かに2人で傘を拭いていた。


それから彼とは時々話すようになったが、3年生になるとクラスが別れたので話すことも無くなった。
今ではもうどうしてるのか知らない。


でも、もう一度彼を見たのを覚えている。
3年生のある日、雨の朝、たまたま彼のクラスの前を通った。
彼は1人で傘を拭いていた。黒の折り畳み傘。
すぐにあの日のことを思い出した。
思い出しているうちに、なんだか彼と話したいことや聞きたいことが、私にはまだ沢山あったような気がして彼の方に歩き始めた。

しかし、結局彼に話しかけることはできなかった。
数歩進んだところでちょうど他の生徒が数人入ってきたのだ。なんだかバツが悪くて私は彼に話しかけるのをやめて教室から去った。
みっちーくんとはそれっきりだ。

あの時の私が彼に何を言いたかったのかわからない。
たぶん一緒に傘を拭きながら、この傘がどんな傘なのかとか、部活がどうだとか、たわいもない話をしたかったのだと思う。


懐かしいけどなんてことない思い出。
たぶん少しずつ忘れていく思い出。
きっともう会うことも話すこともないみっちーくん。
いつか私が全部忘れてしまっても、この傘はきっと覚えていてくれるだろう。
なんとなく嬉しかった気持ちだけは自分で覚えておこう。
私も誰かの大切なものを大切にできる人になりたいな。

あの日、一緒に傘を拭いてくれてありがとう。



あなえより、顔面だけのカエルへ

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