心の違和感と向き合った結果、私は変わってしまった
今日思ったこと、ブログにまとめるほどではない小さな気づきやモヤモヤを、リアルタイムで書き留める、脳内丸出しnoteです。
ほとんど公表していませんでしたが、2月から約半年、執筆屋のあんちゃさん、経営コンサルタントのイチハヤさんが主催の『ミレニアルストーリーラボ』というコミュニテイで、自分軸のあり方や人との関わり方を学んできました。
「生き様で、人の心を動かす。」がテーマのこの集まりは、約半年、いや、ラスト2ヶ月で、私の人格そのものを大きく変えるキッカケをくれたのです。
「技」ばかりだった私の偏った目線
自分の力で生きていくために。
会社に属さず、生き抜く力をつけるために。
そんな思いでミレラボに参加したのは、今年の2月。
激務からの解放で、毎日死んだように眠り続けていた私。
布団の中で爛々と「技に頼らない生き様を語れるようになるんだ!」なんて息巻きながらも、心のどこかで主催者の2人から「技」を盗もうとしていたように思う。(今思えば、だけどね)
でも、当たり前だよね。会社の出世コースに乗れていたのは技ありきだったし、なんだかんだ技って大事だと思う。
これまでの私は自分にやや厳しく、そして他人にはめちゃくちゃ厳しく、
自分が努力してできることは大してすごくないし、自分と同じ努力をして成果が出ない人は能力が低い。同じ目標を目指しているのに自分より努力ができない人は、口だけでやる気がない。
こんなことを、本気で思ってた。
人それぞれのこれまでの歴史、持ってるスキル、得意不得意、1日に使える時間、環境。
全てにおいて違うはずなのに、目の前の相手のことを見ないで、いつも自分を軸にして、上と下に分けていたように思う。
昔から、仕事もプライベートも分け隔てなく、常に自分が基準。
こんな考えの私がコンサルなんてしてたんだから本当に笑ってしまうし、昔のお客様にはもう一度、今できるお返しを最大限させてもらいたい(今度連絡取ってみます)
結果が全ての正しい世界
ネット界隈では、ブログやYouTubeでの成功を目標にしている人が多いし、私は今でもその中でもがいてる。
できない言い訳はもちろんNG。
生産数が全て。
継続率が全て。
もちろんそれは分かっているんだけど、目の前の人や近くの仲間までも「結果が全てだよね」でバッサリ終わらせてしまうのは、何とも悲しいことだよね。
退職してからずっと、Twitterを中心に伸ばしてきたけど、7月にふとフリーズしてしまった。
ここまで一人で走ってきたけど、私には仲間がいるんだろうか。
仲間になってほしい、今後も一緒に頑張って行きたいと、思える人は周りにいるのだろうか、
答えはノー。
私は自分しか見てなかったし、目の前に映る人を「これからの人生を共にしたいか」なんて深く考えたことがなかった。
今の現状に違和感を感じた。
変わるなら、今なんじゃないか。
ミレラボメンバーに心境の変化を報告する中で、私は少しずつ、凝り固まった考え方が、人生で初めて緩むのを感じた。
成果主義の私にとって、こんな感覚は本気で人生で初めて。
とまどいながらも8月からは、色んなオンラインサロンに加入してみたり、これまで絡んでなかった人たちとも積極的に絡むようになって、少しずつ大事にしたい人が見えてきた。
と同時に、SNS界隈で目立ってはいるけど、目の前の人と全く向き合っていない人も分かるようになってしまった。
成果でしか物事を判断しない。自分の合格ラインに達していない人は評価しない。
そんな以前の私のような人はたくさんいるし、その判断基準は間違いじゃない。
成果はもちろん大事だし、成果を出せない人を庇いたいわけでもない。目の前の人との向き合い方だって人それぞれだ。
ただ、その人たちの会話を見ると、何とも言えない居心地の悪さを感じてしまうようになった。
翌日になっても、1週間たっても、違和感は消えてくれない。
私の価値観が完全に変わった、瞬間だった。
目の前の人は自分が大切にしたい人?
人と向き合っている時、何か判断に迷った時、
気がついたら自分に、この問いかけをするようになった。
この人は自分にとって、長く向き合いたい人なのか?
今所属しているコミュニティは、自分にとって本当に大切な場所なんだろうか?
様々な情報が錯綜し、オンラインサロンが乱立し、インフルエンサーが次々に誕生する中で、自分の軸に迷うこともまだまだ多い。
誰の意見を信じれば?自分はどうして行きたい?
そう迷った時に判断基準は「その人達とずっと一緒に生きて行きたいかどうか」。
この先私がどうなるかなんて、分からない。
相手がどう変わるかも分からない。
繋がっておく判断がメリットやデメリットの方がずっと楽だし、迷わないだろう。
私は変わってしまった。
凝り固まった私の価値観を打ち砕き、この問いを教えてくれた、ミレラボメンバーに心から感謝している。