小説家為人―クズネツォフ-トゥリャーニン氏 インタビュー 2008年①―
カバー写真:拙写 択捉島 2015年7月
アレクサンドル・ヴラディーミロヴィチ・クズネツォフ-トゥリャーニン(Александр Владимирович Кузнецов-Тулянин) インタビュー
1963年トゥーラ出身の作家、ジャーナリスト。’90~’00年代のソ連・ロシアによる実効支配下の国後島漁村を舞台とした民俗小説『異教徒』(ロシア語原題 ”Язычник” )を2003年に発表、2006年に出版。ロシア国内にて複数の著名な文学賞にノミネートされる。
以下、«Терра – Книжный клуб» (№ 3/4_2008) ロシア語原文
より一部抜粋、要約しました。
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『異教徒』は以下のことを書いた長編小説である。
・クリル諸島の漁村生活
・島に存在する、人間による無慈悲な掟
・燎厳な自然との闘い
・困難を耐え抜き、生きていくことへの痛烈な願い
長編小説中の出来事は、実際に島で筆者が見たこと、体験したことを元に書いている。根底を揺さぶられ、ハッと目が覚め、広く見開かれた瞳でくっきりと世界を見ることができるようになるような話ばかりだ。
トゥリャーニン氏の作品は長編小説だけではなく、短編集『楽園から来た人』に収録されている面白い話もある。
Q. トゥリャーニンさん、作品を書くようになったきっかけについて教えてください。
A. きっかけはジャーナリズムです。1960~70年代初頭、私の父はトゥーラでジャーナリストをしていました。ですから子供の頃よりジャーナリズムに触れる機会が多かったんですよね。父にはジャーナリスト、詩人、作家の知り合いも多くて。
両親がサハリン州に行くことになった時、私も一緒に連れていかれました。当時少年だった私は、大洋そのものと、それに潜って泳ぐことに夢中になりましたね。ジャック・イヴ・クストーのような海洋学者に憧れました。クストーのように海洋学の研究をして、本を書きたいと思っていました。中学2年生の頃にはこのことを確信していましたね。将来の夢を聞かれると、ジャーナリストになりたいと答えていました。そして実現したんですね。ジャーナリズムと作品の執筆は近い関係にあります。ジャーナリストの大半は、作品執筆を試みているのではないでしょうか。それでもしうまくいったら、文壇への道もスムーズに、素早く開かれるのです。
最初の作品群は、1990~91年に書きました。すぐに文集『オカ』にて出版されましたよ。その後長いこと作品の執筆はしませんでした。ビジネスをしていましてね。新しい風を楽しんでいたんです。1994年になってようやく再び筆を執りました. その翌年には雑誌『オクチャーブリ』で短編を出しましたよ。それから1998年に短編『兄弟から議論が起こる』でプラトーノフ賞を受賞、『海の子』『ああ、ミーチャ、ミーチャ』はアポロン・グリゴリエフ賞にノミネートされました。それからも雑誌『ノーヴィ・ミール』、『オクチャーブリ』、『モスクワ』、『ドルージバ・ナロードフ』などで作品を発表させていただきました。
Q. 作品のテーマはどのようにして思いつかれるのですか?
A. 日常生活の中からですね。小説に盛り込みたくなるプロットがたくさんあるんですよ。一人ひとりの人生が主題になりますね。もちろん、ただ見た状況を書くだけでは不十分です。そこに文学的形式を加え、ざっくりとプロットを考えないといけません。これが難しいですね。でも、ノッてきてうまくいけば、実際の出来事も、想像上のことも、区別しなくなります。
Q. 登場人物も実在する人たちなんですか?
A. そうですね。大半の登場人物たちは実在する人々から着想を得ています。面白いことに、モデルになった人の現実世界で時が経つとともに、小説の中で書いた通りのことが起こったりしたんです。時々、悲劇的な結末に持っていくのが怖くなっちゃいますよね。
つづく
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