生活環
去年くらいに友人が独立して、今のお互いの年収などについて話したことがあります。私は地方の団体職員で500万くらいということで、向こうは社長だから600万は稼ぎたいということでした。友人は林業をやっていて、今は街路樹の整備等を町などから仕事を貰って頑張っているようです。重機も買ったりしていて、冗談めいて「投資してほしい」とか、「丁稚奉公なら雇える」とか、そういう話もありました。私も10年勤めた職場に不満が噴出し、投資などに手を出していました。彼はもともと資本主義的な搾取の構造を『バビロン』と称し、嫌悪しているようなタイプの人間でしたから(なので新卒で入社した会社も2年ほどで辞めてしまいました)、人を雇うときに「十分に暮らせるだけ払ってあげたい」と言っており、駆け出しだけど400万くらいは払いたいのだと話していました。リアルな数字ですが、初年度の年間の売り上げが600万くらいなのだとも話していましたし、先は長そうです。また、初年度は「いつ死んでもいいと思ってやってきた」というのも印象的な言葉でした。経営者はリスクを取らないといけないので、そんな考え方になるのも十分理解できます。
私の妻の両親も会社をやっているのですが、幼少の頃、学校から帰宅した後に仕事を手伝ったりしていたようです。当然家族旅行などは行けませんし、宿題なども周囲の親たちのように面倒を見てもらえず寂しい思いもしたようです。でも早くから仕事に携わっているのは立派だと思います。『フリクリ』というアニメ作品で、主人公がロボットの友達と水鉄砲で遊んでいる傍を、バイトしている友人たちが3輪自動車で通り過ぎるシーンがあるんですが、そういう気持ちを思い起こさせます。本投稿は『#はたらくってなんだろう』をテーマにしています。私なんて見栄で大学院生を辞め、就職活動を始めたため大変苦労したのでした。本当に何も考えていませんでした(謙遜)
前者の彼の場合は、一旦手放して飛び込んだzionの世界と生活に失望し、一層つよい思いを手に、再び資本主義に帰ってきたという印象もあります。そして友人たちと同様、私も『仕事』や『働くこと』については懐疑的でした。いつも酔っぱらってはマルクスなどについて調べ、「どうして会社員になったのだろう」と考えていました。例えば、「どうして集団で仕事をするのか」という脳内の問いには、「チャーハンを炒めている間に他の人がラーメンを作った方が上手にできるみたいなもんだ」と答えたりしていました。その頃リーマンショックと地震があり、周囲の人間が次々に”目覚め”ており、私自身もあらゆることに失望していて(全く別の理由によるものでしたが)、分業が価値を生み出すことなど、すべてを疑って始めなければいけない環境だったこともあります。
しかしお金に余裕が出てくると、開き直って「そこそこにラクしてお金稼いで好きなことに使おう♪」、「我慢して得た収入で友人らの芸術活動を支援し、あわよくば自分も混ぜてもらおう♪」なんて思ったりもしました。初任給でMASCHINEというサンプラーを買い、Youtubeの音声をサンプリングし、ギターをサンプリングし、友人たちとセッションをしました。新しく購入したパソコンでVJの真似事などもしました。この頃出会った音楽や友人たち、様々な価値観や場所についての考察は今も生きる糧になっています。そうこうしているうちに職場の先輩たちが次々と辞めていきました。職場ではチームリーダーなどにもなりました。
私のチームは人数も少なくあまり売り上げを上げていませんでしたが、そのぶん労務費などの経費と売り上げの関係が把握しやすかったです。入社時の管理職が、一時『アメーバ経営』などを掲げておりましたから、リーダーとしてそういう管理も強いられておりました。しかし、「仕事をする上では当然のことだよな」とも思っていましたから、強いられているというのはおかしいですね。「自分が何を売ってどれくらい売り上げがあって利益があって、自分はそこからいくら貰えているのかを把握していないのは、会社員としてマズいだろ」と考え始めました。また、前述のように管理職がイキイキしており、上職者が詰められているのをよく見ていました。なので会社でうまくやるために、「経営者の目線で話をすれば文句を言われないだろう」と考え実践しておりました。しかし、私だって生活や『生き様』があるわけですから、『社畜』だと思われないためにうまい言葉を考えなければいけません。その結果『会社で働くこと』は『お金稼ぎに加担させてもらっていること』となりました。いろんな人に公言し、反論する人はいませんでしたが、良く思われていたかはわかりません。
当時は恋人もおらず、失うものがありませんでしたから、「いつでも辞めてやるわ」と思い、イキって仕事をしていたのでパフォーマンスは高めでした。あわよくば仕事で出会った人の会社に転職してやろうといつも考えていましたし、東京でもラオスでもどこでも行ってやると意気込んでいました。ビットコインも株も買いました。しかしビットコインや株は暴落しました。ビットコインや株の、特にビットコインの経験は、相場の意味不明性について考えさせられましたし、今も大いなる疑問です。しかしお金を失うことに対する度胸がついたと思います。失意の中で(実際には新しい機材を買ったりpythonを勉強したりして楽しんでいましたが)運よく今の妻と知り合いました。私はずっと結婚願望があり、「もし愛し合える人がいればこんなことしていない」と素面でも友人に漏らしていました。実は、心の奥底では、「未婚の上司たちみたいにはなりたくない」と思っていたのかもしれません。私の言葉で言うと、「あなたたちが幸せにならなければ私たちも幸せにならないんだ」というところでしたが、きっと届いていなかったと思いますし、勝手な言い分なんでしょう。しかし周囲の人間は彼らを容赦なく軽蔑していました。彼らも開き直っていたので、どうしようもない感じでした。私は男女間の分断工作は陰謀論ではないと思っています。みんなが「結託してお金を稼ぐ」ことにどうして集中できないんだと思いました。私は他の人の取り分まで奪いたいとは思わない。みんな暇なのが悪いのかもとも考えました。
結婚すると今度は働く場所が非常に重要になりました。会社は”試して”きました。私は辞めました。一晩で40000字の意見書を書き上げたり、いろいろありましたが、”失うものがない”人にはかないません。転職活動をしながら最近考えていることは、国⇔街⇔会社⇔人みたいなことです。「古代、人が集まるところに仕事が発生し街ができたのだから、持たざる者は仕事に合わせて移動するのが本来の形かな」みたいな。初めに登場させた友人の「それ虚業やろ」という言葉も思い出します。コロナ禍の元でリモートワークなどがずいぶん進みましたが、家族が離れ離れにならず収入を得ていくにはどうすればいいのかいつも考えています。転職サイトには「書類選考の通過率は10%ですから、とりあえず応募してください」と言われ、ハローワークでは、「働かせて頂けるようにと気持ちを込めて履歴書を手書きで作成してください」と言われています。自分1人で年間に500万稼ぐ方法はまだ思いついていません。家計簿は付け始めて4年目です。
転職サイトについてはいろいろ解ってきたのでまたnoteに書きたいと思っています。