あのヒグマの事件を雑に語ってみる

毎年、必ずっていいほどクマが民家に出没したってニュースが出るようになって、射殺されたクマがかわいそうだという意見にヒグマ事件の話をカウンターで仕掛ける流れがいつもの様式なんですが、ヒグマの事件を知っているのはともかく、知らない人って以外にいるようなので、雑に語ってみたいと思います。

クマは可愛いところがありますけれど、最強生物にノミネートされるくらい能力が高いです。体長は立ち上がると成人男性よりも大きいこともありますし、体重もあるので撫でられたと思ったら、顔の皮が剥がれるということもありえます。しかも、時速60キロ以上で走るので50ccの原付スクーターがフルアクセルで最高速に到達できるスピードです。ヒグマは北海道に生息しており、火を恐れませんし、死んだふりをしても興味を持って近づいたりすることもあります。

クマのニュース→かわいそう→あの事件とつづく 

あの事件とは三毛別羆事件のことを指しています。

三毛別羆事件
https://ja.wikipedia.org/wiki/三毛別羆事件
とても読み応えのある記事ですが、凄惨な記述があるのでご注意ください。これを雑に語ります。



北海道の三毛別で11月の初旬にヒグマの被害がありました。その時は食料を荒らされただけだったので、人的な被害はありませんでした。しかし、そこで呼ばれたマタギは、かなりでかいヒグマで「穴持たず」という冬眠をする穴を見つけられずに飢えて凶暴化したクマだと推測しました。

12月になり、太田家の当主要吉と長松氏が氷橋という川に木材を架けて凍らせる橋の材料を伐採に出かけた際、穴持たずのヒグマは太田家の家族を襲いました。要吉たちが食事に戻ってくると、子供は血まみれになって死んでおり、妻は行方不明になりましたが肉体の一部がすぐ近くで発見されます。

翌日になり要吉の妻の遺体を捜索すべく、猟銃をかき集めた男衆が集まり森に入りました。村人たちはそこで恐ろしくでかいヒグマの姿を見つけます。真っ黒い姿に袈裟がけに白斑があり、馬よりも大きかったといいます。

村人は銃を向けましたが5丁のうち、1丁しか弾が出ませんでした。まともに手入れをしていなかったのです。怒りだしたヒグマは村人を襲いましたが、すぐに逃げました。村人にけが人は出ましたが、要吉の妻の遺体の一部を発見して、家に持ち帰りました。

夜になり太田家では通夜が始まっていました。しかし、この太田家にヒグマは再度やってきます。幸いにもこの時被害者は出ませんでしたが、ヒグマは何故来たのか。ヒグマは要吉の妻の肉を保存食として埋めていたので、それを奪われて取り返しに来たためです。

太田家から消えたヒグマは時間をおかず明景家を襲います。そこには10名がいましたが、火を焚き続けて避難していました。ヒグマは火を恐れないので、目についたのでしょう。窓を破って侵入され、鍋がひっくり返り家の中は闇の中になりました。

悲鳴を聞きつけて10人近くの村人が明かりのない明景家に近づくといまだにヒグマが中にいることに気づきました。銃を二発鳴らすとヒグマは外に出てきて逃げ出しました。この二日間で7名が死亡し、3名が重傷を負いました。死亡した一名は胎児でした。


それから2日たち、討伐隊が結成されました。警官を中心に組織され、青年団や消防団、アイヌの人たちと協力をえて、ヒグマの討伐に当たります。
その間にヒグマは人のいない家を襲い、家畜や食料を食い荒らしまわっていました。討伐隊は遺体を使って待ち伏せを図りましたが、ヒグマは何かに気がついたのか、作戦は失敗しました。

ヒグマの行動範囲は避難先の村に迫ってきており、餌がなくなってきたのかヒグマにも慎重さが薄れてきました。餌と認識した人間がいないからです。
討伐隊は氷橋で待ち伏せを仕掛け、ヒグマに傷を負わせましたが致命傷に至りませんでした。

翌日、三毛別に山本兵吉という男がやってきました。サバサキの兄と異名を持つ軍帽にロシア製ライフルを持つこの男は天塩国(てしおのくに)でも評判の良いマタギでした。

平吉は討伐隊と別れ、単独で山に入ります。そこでヒグマが頂上付近で木につかまり休んでいる所を見つけます。ヒグマは討伐隊に意識が向いており、平吉の存在に気がついていませんでした。

そして、平吉は木に隠れて銃を構えると銃声を響かせました。平吉のはなった銃弾はヒグマの心臓のあたりに命中しました。撃たれたヒグマは怯むことなく兵吉をにらみます。平吉の二発目の銃弾がヒグマの頭部を射抜きました。到着した討伐隊が見たものはヒグマの死体でした。

ヒグマの死骸を運んでいる最中、晴天続きだった空が急に荒れ始め、吹雪に変わりました。クマが死ぬと天気が崩れるのだと言い伝えがありました。後にこれが熊風と呼ばれるようになりました。

ヒグマの重さ340キロ、身の丈2.7メートルにおよび、胸から背中にかけて白斑が伸びている超大物でした。このヒグマは三毛別の他にも人間を襲っていたようで、胃の中から三毛別以外の被害者の衣服が見つかりました。


その後の三毛別の村人は心理的な恐怖を残し、徐々にこの土地を去っていき、ついにこの村は無人になりました。

山本兵吉はその後も熊を撃ち続け、生涯で300頭を仕留めたと言われています。

事件の当事者だった大川春義という方はヒグマを憎み、7人の位牌の前で一人10頭で70頭のヒグマを仕留めると誓います。70頭の悲願を達成したあとも北海道ではヒグマの被害が続いているので、周囲の要請もあって、100頭と目標を改めました。100頭の討伐を終えたあとは、すでに年を取っていたため、そこで銃を置きました。

1985年に三毛別羆事件の70回忌の法要がはじまり、大川氏も出席しました。大川氏は講談の壇上に立ち、一言話すところで突然倒れ、そのまま死去しました。
事件の同日に突然死したこの状況に周囲は因縁を感じざる得なかったそうです。



雑に語ったつもりでしたが、少し長くなってしまいました。
この事件を元にした熊嵐という小説は有名ですが、これに感化された作品も数多く見受けられます。

映画のリメインズは千葉真一監督の人食い熊を倒すマタギたちの話ですが、患者さんとこの映画の話をして、ちょっと顔がよすぎるよね、と笑いあっていました。


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