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《カオリンゴ》私の中にカレンダーがない!?

普段日常で、何かついつい見てしまうものとか、目に止まるもの、目に飛び込んでくるものってありませんか?


最近よくSNSや本屋さんで見かけて、あるものについつい見てしまう自分を発見しました。

それは、
「スケジュル帳の上手な書き方」なるいろいろ。
SNSでも、本屋さんでも気になって見ていました。

今日、今週、今月、今年の先の予定ややりたいこと、決めたことを書き込んで見える化して叶えていくというノウハウなどです。

実はこれ、いまに始まったことではなくそういえば私はいつもスケジュール帳と格闘しているとハッとしたんです。

変な話ですが。笑

書くぞとなんとなく、毎日スケジュール帳と向き合うのですが、どんどん気持ちが萎えてきて、見たくなくなるんです😭
そう、予定のないスケジュール帳に対しての抵抗感。

日常的に決まった予定は問題なく書いているのですが、
突発的に思いついたやりたいこと、行きたいところ、この日はこれをしようなどを書こうとするとなぜかペンが重い・・・😑
そう、計画というものができないのです。


そんな時主人から、「今週の休みは家でゆっくりしよう」と一言。
一見聞くと特におかしなことはない会話なんですが、やたら連呼する主人に反射的にムムムっと「せっかくの休みなのにー?」と私。

この何気なく使っている「せっかく」が曲者。

せっかくの休みは有意義に使うべき。って思っていたんですが、普通の日は有意義じゃないのか?と自分に突っ込んでいました😆

私の中で『家でゆっくりすること=予定がない=✖️ダメ』と認定しているのか!
「予定がない私」が一生懸命予定を埋めようというパターンにはまっていたのかと愕然としました。

思い返せば幼い頃、私は家で一人でいることが多いと感じていました。
妹と弟は部活や習い事も多く、友人も多いからいつも出かけていく。父も気付けば飲みに出かけていたり、母はというと家出を繰り返していた。
そして、私はいつも家にいる予定のない子😅だから、予定がいっぱいでアクティブにお出かけすることに憧れていました。そう思えば思うほど叶わない仕組み通り。
憧れた時点で、私の中では「ない」ものとしてたのです。

そんなタイミングで今度は友人からバシっとはまる話がこの耳に飛び込んできました。職場の方が「カレンダーがない」「カレンダーがない」と連呼していたと言うではありませんか🤣
見るもの、聞くもの私の情報!え?私の中には「カレンダー」がなかったのかー


家でゆっくりすることは、何もしないのではなく、家でしかできないことがちゃんとある。私にとってのちゃんとした「予定」。

家で過ごすこともいい、お出かけもいい。

そして、憧れたアクティブさも、それを見た私のことでしたー😍


📺介護現場で入所者さんもスタッフまでもが変わっちゃった!




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