不確かなことを早く分かろうとする違和感
このコロナ禍の中で、私たちの生活は強制的にスピード感を持って変化していっている。その中で、私の仕事は来年の秋冬のことを考えることだ。今年の秋冬もまだ来ていないのに、来年の秋冬って言われましてもねぇ・・・
コロナはどうなるの?経済状況は?人々の心理状態は?気温はどうなってる?アメリカの大統領選挙の結果は?本当に分からないことだらけだ。
「強いものが生き残るのではなく、変化するものが生き残るのだ」とは、ダーウィンもよくいったものだよね、なんて感心してしまう。
そんな中、次にくるトレンドを明確にいくつかに分け、売上で分析し、ITの力で的中率を測る試みをするという。ほうほう、すごい時代になって来たな。
でも、何かモヤモヤとしたものが心に残るのは、なんなのだろう。
もちろん、ごもっともなことは十分に分かっているし、そんなことを試みようとするのは時代の流れだと思う。自分がなぜモヤモヤしているのか、表現することも難しいのだが、1つ思ったことがある。
それは、目に視えるものだけを捉え、分かろうとしていることへの違和感なのではないか?
この混沌とした時代に「明確にする」ということを、自分の内側が抵抗している。不確かな時代に、明確さを見せることが、安心感に繋がるのであればそれもアリだ。けれど、人間の心理とはそんなに単純なものでもないし、「これでしょ?」と指さすことは、「これではない」と、他を排除するということにも繋がるからなのだ。そこに「受容」がない事が、今の時代感とフィットしない、と感じてしまう。
「明確にする」ことが、今の時代に必要なのだとすれば、「自分への愛」くらいなものだと私は思うのだ。それぞれに違って、それでいい。
今、問題が浮き彫りになっている事は、白黒はっきりさせたふりをして内側がグレーという問題が多い気がする。
そもそも世界はグラデーションであり、決めるのは「本人」である、という前提に立った時に、内側から出てくるインスピレーションを信じ、突き詰めていくのであれば、私は「明確にする」という言葉を自分の腑に落とすと思う。しかし、それぞれが内側を見ずに「で、次に何がくるの?」と自分の外側にある情報だけを抽出し、秤にかけようとするやり方に全く「共感」できないのである。
と愚痴ったところで、そのように仕事は進むらしいが・・・。
はて、どうしたものか?困りました。ええ、やりますよ。仕事ですからね。でも、いい結果になるかは正直???だ。
そんな中、私は、それぞれの人が「キラっ」とする瞬間を見るのがとても好きなことに気が付いた。くすぶっていた何かが弾ける瞬間、曇っていた表情の中に一瞬見せるきらめき、はにかむ笑顔。内側からだすエネルギーが変わる瞬間は、場の空気を変えるほどのパワーの時もあれば、ジワジワと滲み出てくる場合もある。男も女もどちらでもない人も、子供も老人も何も関係がなくなる瞬間だ。そこには好きとか嫌いとかいう次元ではない何かが蠢く。それは、業界の垣根などない瞬間で、とても愛おしい「今」だと思う。
テクノロジーが手伝って、それらを後押しすることには大賛成!
考えが甘いのかしら?でもね。それが、私なのである(笑)