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「質量への憧憬」

こんちは

先日月曜仕事が早く終わった…というより、当日ドタキャンがあったので仕事を定時に切り上げ、行きたかった落合陽一さんの #質量への憧憬 展へ行ってきました。

先週は湿度写真に行ったし、写真展は2週連続。
皆さん、写真展行ったことあります?写真撮る人はもちろん、「興味ないわ!」っていう人も、ふらっと行ってみるといいと思います。世界が広がる。
あ、下記サイトです。↓
https://shitsuryou2019.jp/

さて、質量への憧憬。

後3回ぐらい行きたい、そんな展示でした。

2日間考えたけど、あんまりまとまらなかったので思ったことパラパラと。

①写真の質量

人生で初めて、写真から質量を感じた。

自分にとって今まで写真とは、記憶・感情といった、「時間」を切り取った保存媒体であり、どちらかといえば、「感情」に紐付くものだった。

楽しかった瞬間だったり
綺麗な景色だったり。

確かに形あるものを切り取ってはいるものの、そこに写っているものに重さはなかった
※こういうと、他の写真は軽い、みたいだがそういう意味ではない。過去みた好きな写真は、そこに写っている人か撮った人の感情がリアルに伝わってきた。

一方今回の写真は、質量を伴っていた。

質量を伴っていないはずの写真から感じる質量。
さらに、リアルなものより重みを感じるのは、落合さんの力だろうか。

②感受性

いったのは月曜日の夜19時ごろ。
それでも、色々な属性の人がいた。

日本人・外国人
大学生・高校生
夫婦・カップル・1人

それぞれ、同じものを見てどう思ったのか。同じ文章を読んでどう考えたのか。
それがとてつもなく気になった。

これを書いたら #質量への憧憬 で調べて他の人のnoteを見てみたい、

③とはいえ、ムズカシイ

上で、質量が云々、感受性がどうの、と書いたが、全部後から整理したことだ。ぶっちゃけこれを一番感じた笑

ムズカシイ。ワカラン。

確かに作品一つ一つ、文章一つ一つが、「落合さん」という強力なエネルギーを発していたと思う。

ただ、それが自分に届く頃には、だいぶ減衰してたように感じる。
さらに言語化できているのなんて何分の一のレベルだと思う。


ついで、落合さんの文章

5回ぐらい読んだ。けど、腹に落ちたかといえばそうでもない

もはや最初に読んだ時にの感想は

「いつか大学入試に出そうだな」

である。笑(共感者求む)


ここに書き起こした感想

いた時間は1時間と少し。
それだけの長さだが、あの時間、とてつもなくいろんなことを感じ、いろんなことを思った。それは間違いない。

が、感じたものを咀嚼して文字にするのがえらい難しかった。
自分の感受性と言語能力が足りなすぎる。悔しい。

ただ、これは断言できる。

行ってよかった!!

(最終日に言うなって話だけど。)

本も買ったのでじっくり読もうと思う。

オワリ

(ここに書いたのは100%個人の見解です。
全然違うわ!バカか!と思ったらコメントください。)


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