「師匠」がいないということ

 超お久しぶりの『note』の投稿になる。この間、お仕事に追われて追われて追われて追われて、ぽっきりと折れて失声症になって慌てたり、まぁいろいろあって長いお休みになって、ようやくなんとか「書ける」ようになってきたところ。まだまだ十全とはいかないけれど、焦らずゆっくりと、足どりを確かめるように前へと進みたいと思っている。こちらに何か書こうと思ったのは、『Twitter』を眺めていて常見陽平先生のツイートが目に留まったから。

 自分は「とりまき」ができるほど力あるわけではないし、信頼できる人も何人かはいる。ただ、「師匠」はいないということに思い当たって、それがコンプレックスでもあるな~ということをしみじみ考えざるをえなかった。

 就活に失敗して飲食チェーンバイト→通信会社派遣社員→アダルト系出版社正社員と渡ってくる中、基本的に「研修」と呼べるものは受けたことがなく、もっぱら業務はOJTで覚えた。出版社時代はグループ会社の営業もやってそれなりに成果も上げたけれど、先輩社員の見よう見まねや、ボスと取引先の交渉の場の末席を汚すことで盗んで頭に刻んだ。が、彼らは人生の先輩で尊敬の念はあるけれど、「師匠」かといわれるとしっくりこない。

 ブログを書き始めて、ライターになってからは、会う人の絶対数が格段に増えた。その中で一番底辺なのは自分だというヘンな自負はあったし、物書きで食べるというのは漠然と抱いていた夢でもあった。だから、彼/彼女たちと話したことが糧になったことは間違いない。とはいえ、「この人についていこう」と心から思える人には出会えなかった。

 その後、趣味が副業になり、勤めていた会社を解雇になり、一年半続けた転職活動がことごとく失敗して、夢だった物書き仕事が本業になってしまった。新しい知識を得るのに躍起になったし、さまざまな場所へ足を運び、いろいろな人の話を必死に聞いた。傍目からは迷走に映ったのかもしれない。だが、今となってはその時間は苦しかったけれど大切だったと振り返ることができる。

 「師匠」に出会えなかった自分だけど、「私淑」をする対象はたくさんあった。民主主義の「描き方」なら田中芳樹、社会に対するアプローチはジョン・スチュアート・ミル、衒学的な姿勢ならギボンで、美学についてなら澁澤龍彦、人間の機微が生まれる魅力については塩野七生……といった具合に、「立ち返る場所」は確実に存在していた。たびたび心はポッキリと折れるけれど、脳みそがグチャグチャになることは免れているのは、彼らのおかげなのだと、改めて気付かされて、誰かにとっての彼らになることはできるだろうか、なれたらいいなと、まだ「夢」のようなことを思っていたりするのだ。


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