師走
昔から、一日一日が早く終わらないかと耐えるように苦しみながら生きてきたぼくとしては、「今年もあっという間だったね」みたいな言い回しがとにかく嫌いで、そう言われたとしても胸の内では「(そんなこと、ないですけれども)」と毎回毎回返事をしていたのですが、そろそろ屈服する時が来てしまったのかもしれないです。本当に、時間が足りない。
年始にどんなことを考えていたのかありありと思い出せてしまうし、来年なんて遠い先の話だと思っていましたから、やりたいこと何にもできていないまま一年間を費やしてしまったなあという、やってしまった感というか、諦めみたいな感情というか、そんな感じです。
今年は本を一体何冊読めたのだろうかな、とか考えたりします。結局どれだけ賢そうなフリをしていても、じっくり気力と体力を使って思想に向き合わなければ、薄っぺらい考えばかりになっていってしまうということ、身をもって実感しています。やっぱり人間的に魅力的だなと思う人は、いい映画をちゃんと摂取したり、いい音楽を味わったり、ちゃんと何かしらの新しいものを摂取していると思うんです。ぼくは年始の予感通り、どんどんと人間的に痩せこけてしまっています。それゆえに、もう少し面白いことをやるための時間を確保しなければなと、考えてはいるんです。考えているだけだからこんなザマになっているんですけれども。
この間は博多に行ってきて(福岡に来ることを「来福」というの可愛いよね)、文学サークルの同期と、文学サークルの先輩と会ってきました。ぼくの愛すべき同期は、就活で成功してあの大企業に受かった人間だったはずなのに、たった一年で全ておじゃんにしたような人間です。それで、明日は失業手当を受け取りに行くんだとケラケラ笑っていたので、ぼくも今からでも文学サークル出身の人間らしいめちゃくちゃな生き方してやろうかなと思わされたりしました。憧れてしまうんですよね、破滅っぽい生き方に。自分が出来ないから。
一方で先輩の方は、文学サークルらしからぬ地に足をつけた生き方をしていたので、破滅っぽい生き方ができない人間という意味で同族なのかも……なんて思ったりして。先輩からは時計のことを色々と教えてもらって、現実世界で役に立つ知恵みたいなものを沢山授けられた気分になり、あの同期よりも先輩みたいな生き方をベンチマークすべきだと、急に冷静になったりもしました。
博多に行くことになったきっかけである、ぼくが最近転がしてもらっている(?)アイドルの子からは偶然にもこんなコメントを書かれて
人文の人間らしい生き方、失いたくないな〜なんてことをボヤっと考えながら飛行機に乗って東京に戻ったりしていたんです。これが、先月半ばくらい。
サラリーマンなどという肩書きは面白くもかわいくもないので、続けてみてダメそうだったらサッと失踪して、酒を飲んだりタバコをふかしたり入水自殺ごっこをしたり、流石にそんなことはしなくても、文章や音楽や絵をやったりして、一年どころか一日一日が長すぎるんだよなあなどと、ボヤきながら暮らせるようになりたいのです。
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