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3年前、2年前、1年前

お久しぶりです。あんまり世間話とかしないタイプではあるのですが、明日からマスクをつけるのが任意になる話がありますね。コロナ騒ぎが取りざたされて丸3年です。節目を意識させられると、あの頃何を考えていたっけとか、何をしていたっけというのを否が応でも思い出す羽目になって、その話を聞いてもらう相手もいなければ、Twitterでブツブツつぶやいたところで反応してくれる人もいなさそうなので、ここに供養します。明確にやらねばならないことが残っているのですが、この脈絡のない話をどこかに吐き出しつくさなければ、何も手につかない気がするんです。

3年前は、もう色々と自粛が始まっていましたね。世の中全体の時系列の整理は、ぼくでなくても沢山の人がやっているだろうから触れずにおきます。ぼくが覚えているのは、3月には愛すべきサークル棟が利用禁止になったこと。バイクをいじりに行けなくなったのを覚えています。やることのない日々ではありましたが、キャンプに行ったりしたのも覚えています。ぼくという人間がとんでもなく暇な時間を手にしたときにやることと言えば、散歩して変な草花の写真を撮ったり、スパイスからカレーを作ったり、庭や河川敷に繰り出して焚火台を使って燻製やホットサンドを作ったり、あとはゆっくり眠ったり、本を読んだり、そんな感じでした。(パソコンから文章を書いているので、あとから当時の写真を載せようと思います。)
ぼくが一人でボヤっとしていても、コミュニティ内の人間関係で置いて行かれる心配がないというのがすごく気楽でした。少し過ぎると全然そんなことなかったことがわかるんですけれど。

もう一つ、あの頃はTwitter上での言論バトルの争点が「自己責任論」みたいなので溢れかえってたのも覚えています。音楽関係の人とかがイベントが軒並み中止になって食っていけないとなったときに、助けるとか助けないとか、そういう職を選んだのはお前の自己責任だとか、そういう話が溢れかえっていてすごく嫌な気持ちでした。ぼくはあの頃はライブハウスという空間に足を運んだことはなかったのですが、とてもやるせない嫌な気持ちになって「自己責任」という言葉がとても嫌いになったのを覚えています。
少し話はズレるのですが、NHKのコロナ特番で、國分功一郎先生が、ジョルジョ・アガンベンの思想の紹介をしていて、「生存」を優先するあまり切り捨てられているものがあるという話をしていて、自分は切り捨てられるものについて思いを巡らせる側でありたいなと思っていました。今は実践できているかわかりません。

2年前は、本当にちょうど、以前お付き合いしていた子と付き合い始めたのがこの頃でした。3月というとぼくは大学卒業のタイミングだったわけですけれど、もうあの頃は完全に大学のコミュニティに興味がなくて、オタクとばっかりつるんでいて、完全にインターネット上のコミュニティがぼくの全てでした。コロナは一応それなりに定期的にニュースになっていて、授業はWebexで行い、サークルはロクな活動ができていなかったので当然と言えば当然です。大学の友人よりもオタクと会っている時間の方が明らかに多かったですし、なんなら推しメンと喋っていた時間の方がそこら辺の大学の友人よりも断然多かったです。話を戻すのですが、その子は当時名古屋に住んでいたものですから、ぼくがとても暇だったというのもあって、わざわざ名古屋に会いに行って一日デートしたことを覚えています。とはいえぼくは名古屋なんて2回か3回くらいしか行ったことがなかったので、ほぼほぼ案内してもらって、ただ街を歩き回る一日だったと記憶しているんですけれど。栄でぼくの友達の誕生日プレゼントを選んだり、大須の商店街をふらふら歩きまわったり、まあ、お互いつまらなさそうにしながら一日過ごしたんですけれど、話聞いたら普通に楽しかったって言ってくれて、ぼくと同じで楽しいっていうのがあんま表現できないタイプなんだなと勝手に納得して、それで付き合う話になったかなと、ぼくの中ではそう整理されています。普通につまらなかったのにお世辞でそう言ってくれていた可能性も余裕であります。スタバに入って、当時二人で界隈で流行らせようとしていたゴルフのクソゲーやっている時間が一番盛り上がっていたまであったと思います。結果として今はもう別れてしまっているわけですが、あの期間はなんだったんだろうな、自分の中でどう捉えてどう評価すればいいんだろうなと思うときに、最初に会いに行った一日のことを思い返すことは多いです。

1年前の3月は、あんまり記憶にないです。ぼくはTwitterでそこまで”仕事がいやだ”みたいなことは言っていないと思っていたんですが、ちょっと見返したらこの時期は余裕で言っていました。(あとから編集して当該のツイート貼るかもしれないです。)

一年目のうちは、なんとなく先輩に守ってもらいながら、成功したことについて褒めてもらって、多少いい風に扱ってもらえるわけなのですが、自分が実際全然上手くいっていないにも関わらず褒められてしまうと、それはそれで後から来る失敗のことを思うと苦痛だったなと思います。結局どこまで行っても自分は頑張ることができない人間だなと思っていたのがこの時期でした。あとは、さっき言及した以前付き合っていた子が完全に精神をぶっ壊して何か月か経過し、実家である大阪に帰って、なんか色々と上手くいかなかった時期でもあったかなと思います。付き合って一年であれば何かプレゼントをあげたりもらったりしていても不思議ではないのですが、驚くほどに記憶にないです。多分ぼくもとても疲れていたのだと思います。些細なことで(ぼくが些細な事と捉えていたのがよくないポイントだとは思うのですが)機嫌を崩されて、ぼくからこの子に対しては何もいい影響を与えてあげられないという気持ちでいっぱいになってしまったり、悪い思い出ばかりが頭の中に残っています。でも、そうは言っても恋人がいるというのは悪いことばかりではなくて、「この人のことをわかりたい」という気持ちが常にあって、そのことで頭を悩ませ続けられるというのは、苦しくも充実した時間ではあったと思います。まあ、当然こんな関係性が持続するわけがなく、ここからほどなくしてぼくが振られてしまったのですが。
一応、去年の3月に書いた記事も貼っておきます。

書き終わりました。完全に独り言・自分語り・自己満足です。よく言えば自己開示ですが、ぼくは人に自己開示しすぎているので多分ある程度かかわりのある人からすれば食傷気味でしょう。
今年の3月は、誰のことも理解できず、誰からも理解されないまま死んでいくんじゃないかというよくわからない不安がずーっとあって、非常に運気の下がりそうな身なりと口ぶりで過ごしています。3月末になれば変わっているかもしれないです。
ぼくに対して興味を持ってくれる人について、興味を持ってくれて本当に嬉しいといつも伝えているのですが、多分あなたが思っている以上にぼくは嬉しいと思っています。もう興味を失ってしまったとか、それどころじゃないとか、色々あるかもしれないですが、興味を持ってもらえた事実が本当に嬉しかったのは本心です。ぼくが誰かについて知って理解しようとして、誰かからぼくのことが知られて理解しようとしてもらえる、そのやりとりの中にいないとダメになってしまう生き物なのかもしれないです。一人で生きていても平気そうな顔をしているくせに本当に情けないです。

思い出話を聞いてくれて、ありがとうございました。


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