【ロシアの歌詞を訳してみた】Мне нравится, что Вы больны не мной… 訳してみた。
だいぶご無沙汰しております。
この度新卒ニ年目にして会社を辞め、転職してロシアに移住してまいりましたあんです。
私の転職に至る背景等々については別の記事で詳しく話していくつもりなので良ければご参照くださいm(__)m
さて、せっかくロシアに来たんだからロシア語を勉強したい。
でも勉強するにしてもただ机にかじりついているだけでは面白くない。
その思いを大親友・スベちゃん(ロシア人、日本語ペラペラ)に相談したところ、
「じゃあロシア語の詩を解釈してみない?」と。
彼女は詩のプロフェッショナル。大学で詩を研究していた人物なだけあって、いろいろと面白い話が聞けるかも、と思いすぐにその提案に乗った。
早速第一回目に選んだのはマリーナ・ツベタエワの「Мне нравится, что Вы больны не мной…」(1915)。
撰者はスベちゃんご本人。
ソ連時代から語り継がれる超有名な映画「Ирония судьбы」(邦題:運命の皮肉)の挿入歌にもなっている詩。TSUTAYAとかでも借りられる作品だと思うけど私は日本語訳版を観たことがなかったので、ちょうど良い機会だと思い取り組んでみた次第。
ただあまりにも内容が難しすぎて、(スベちゃんには悪いけど)さらっとネットでどんな日本語訳が当てられているのか検索してみたら、割と直訳が当てられてる感じなのかな?と思った。
申し訳ないけど直訳だと内容が全然理解できない単細胞な私はこの後何度もYoutubeで詩が読まれている動画を見るはめになったのは別の話、、、🤫
解釈に入る前に。
さて実際にどのような解釈をしたのかに入る前に、映画の中でこの詩が歌われている様子を観ていただきたい。すぐに詩の美しさ、そしてロシア語そのものの美しさに気づいてもらえると思う。
<歌詞>
Марина Цветаева
Мне нравится, что Вы больны не мной…
Мне нравится, что Вы больны не мной,
Мне нравится, что я больна не Вами,
Что никогда тяжелый шар земной
Не уплывет под нашими ногами.
Мне нравится, что можно быть смешной —
Распущенной — и не играть словами,
И не краснеть удушливой волной,
Слегка соприкоснувшись рукавами.
Мне нравится еще, что Вы при мне
Спокойно обнимаете другую,
Не прочите мне в адовом огне
Гореть за то, что я не Вас целую.
Что имя нежное мое, мой нежный, не
Упоминаете ни днем ни ночью — всуе…
Что никогда в церковной тишине
Не пропоют над нами: аллилуйя!
Спасибо Вам и сердцем и рукой
За то, что Вы меня — не зная сами! —
Так любите: за мой ночной покой,
За редкость встреч закатными часами,
За наши не-гулянья под луной,
За солнце не у нас над головами,
За то, что Вы больны — увы! — не мной,
За то, что я больна — увы! — не Вами.
(1915 г.)
なんて切なく歌い上げるんだろう、というのが私の第一印象だった。
ジェーニャのことを好きになってはいけない、ジェーニャにも自分を好きになってほしくない、そんな気持ちが表れているようだった。
この詩を私とスベちゃんは次のように訳してみた。
私のせいであなたが苦しむことがなくて良かった
私のせいであなたが苦しむことがなくて良かった
あなたのせいで私が苦しむことがなくて良かった
恋に酔って浮き足立つようなことがなくて良かった
おかしなことを好き勝手に言える私で良かった
あなたの腕がちょっと触れただけで息が出来なくなるほど恥ずかしくなるようでなくて良かった
私の前であの子を抱きしめたってかまわないわ
私があの人に口づけをしたってかまわないでね
昼も夜もあなたが私を私があなたを想わなくて良かったわね
私たちが結ばれたり周りから祝福されるようなことがなくて良かったわね
心から感謝しているわ
私を愛してると気づかないでいてくれたことに
毎晩悩まされずによく眠れることに
めったに会わずにすんでいることに
一緒に月の下で散歩したり頭上の太陽を見上げずにすんでいることに
ああ、私のせいであなたが苦しむことがなくて良かった
ああ、あなたのせいで私が苦しむことがなくて良かった
二人の解釈
断っておくが、あくまで二人の解釈であって正解ではないことをご承知おきいただきたい。単に私たちが、自分たちならこう訳すかなーという趣味の範囲で訳したものであり、決して翻訳家などではない(もちろん少しでも共感されれば嬉しいけど)。
まず、全体のテーマをどうするか、お互いに少し悩んだ。
文字通り、「好きにならなくてよかったわ」なのか。
はたまた「好きにならなければよかった」なのか。
私たちの導き出した結論はそのどちらともいえない、中間のものとなった。
出会ってしまった二人は互いに互いを意識していて、今にも恋に落ちそうになっている。
だけどもし好きになってしまったらあなたは私を、私はあなたを想って苦しむこととなる(Мне нравится, что Вы больны не мной, Мне нравится, что я больна не Вами の反義)。
だからまだ恋に落ちていない今の状況のままが良いのだと、作者は歌い上げているのだろうと解釈した。
ーーーただ遅かれ早かれ彼女は恋に落ちるんだろうな、とも。
この詩は最初と最後にほぼ同じ文章が連なっているようにみえるが一か所全く異なる部分がある。
それは ”увы!”という単語が最後の連には加えられているということ。
увы!は感嘆詞で日本語で言うところの「ああ」に当たる言葉。
最後の文章を直訳すると「あなたがー・・ああ、私のことで苦しまないことに感謝してるわ。私がー・・ああ、あなたのことで苦しまないことに感謝してるわ」となるが、たった一言「ああ」が付け加わっただけで随分悲痛なニュアンスが足されているのではないだろうか。
つまり本当は苦しんでほしい(=私を愛してほしい)
本当は苦しみたい(=あなたを愛したい)
という気持ちの表れではないのかというのが私たちの解釈だ。
まあここまで言ってしまえば、「本当は少なくとも彼女は彼のことが好きなのでは?」と思われなくもない。
ここで映画の内容を照らし合わせると少し答えが浮き上がるかもしれない。
ナージャのジェーニャに対する本当の気持ち
ナージャはこの詩を歌いあげた時、すでに本当はジェーニャに恋をしていたのではないだろうか。
答えはYesだろう。
ただ彼女には心に決めた人がすでにいたし、
にもかかわらずその日に知り合ったような男を気になり始めてしまっていた。
そしてそこがまさにこの詩の本質を表すミソだと私たちは思うのだ。
もし今自分に笑いかけてくれるこの人が私に「好きだよ」と言うなら。
間違いなく、自分の「気になっている」という感情は相手への愛情に変わってしまうだろう。
だからその気持ちを抑え、でも予感は隠しきれず、「私たち、好き合ってなくて良かったわね」なんてそっけない態度をとっているんじゃないかという解釈に至ったわけだ。
これらを反映して作り上げたのが上に載せた日本語訳。
読み飛ばした方も、できれば一度戻って見ていただけると嬉しいです。
詩の解釈なんて最初は正直あまり関心がなかったけど、
意外と面白くて結構ハマりそうだね、なんてスベちゃんに言うと
彼女はそうでしょ、と得意げに笑っていた。
言葉も考え方も違うこの国にいる今だからこそ、こうした理解を深めて少しでもロシア人の文化に触れたいと思った日曜日の夜でした。
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