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【わたしの話】コロナ禍に大企業を辞めてロシアで転職先を見つけた話

そろそろ話しても良い頃かなと思うので、今日はちょっとヘビーな話をしてみようと思う。
あんまり面白い話じゃないんだけど…。

新卒一年目で転職する

ってどんだけワガママな考え方やねん、と私も最初は思っていた。し、この状況で転職は不可能だろとも思っていた。

学生時代、とにかく自分が興味のあることや少しでも面白そうなモノへとばかり突撃し続けたのは、ひとえにも周りの先輩たちからの「大学の間にやりたいことはやり切っておいた方が良い」なんていうアドバイスのおかげかもしれない。

もちろん社会に出たことのない当時の私にとって、そんな言葉・話半分でしか聞いてはいなかったものの、何となく「社会人になったらきっと仕事漬けで毎日大変なんだろうなぁ。なら今のうちにたくさん遊んでおくか」くらいの気持ちはあった。

いざ社会に出てみて。

現実を知った、という表現が本当にしっくり来た。

君のためを思って言ってるんだよ。

一体全体、何度このセリフを聞いたことだろう。

それなりに名の知れた大きな会社に入社。家族は手放しで喜んでくれたものの、テストで良い点を取る、みたいな感覚で入社試験を受けていた私にとって、正直会社の規模なんて興味がなかった。

ただいい会社に行けば何となくいい気がする、そんな気持ちで入社したのもいけなかったのかもしれない。

さすが大企業。働く人間の数は本社のみで17万人、連結子会社はグローバルに200カ所と巨大企業と呼ぶにふさわしい会社ではあった。だからこそ「いろいろな人が働いてる」というのがよくわかった。面倒見のいいひと、優しい先輩、厳しいけど愛のある鞭をふるう人…。

これが社会人なんだと日々業務に追われながらある日ふと気づいてしまった。
自分が壊れかけている、ということに。

配属後一か月も経っていない頃、当時の教育担当者はしばしば私に対し心無い言葉を投げかけてきたものだった。

「君に訊いた俺が馬鹿だったよ」

「君、何でそんなにミスが多いわけ?」

「何定時で帰ってるの?周りの先輩に悪いと思わないの?」

時には「君の顔面偏差値は同期の中でどのくらい?」なんて訊かれたりもした。

大きな会社だし、それだけ責任感の伴う仕事が多いんだろう。

私はまだまだ下っ端で頼りないから厳しく言われているんだろう。

これは社会人ならではのジョークなんだろう、一種洗礼みたいなもんなんだろう。

自分なりにかけられる冷たい言葉たちに説得力を持たせ、自分がいけないんだ・自分がまだまだペーペーだからダメなんだと言い聞かせ続けた。

だから朝は5時半にPCを立ち上げ、夜は20時に退社して、勤怠つけずに22時までPCの前に座っていた。

それが普通だと信じていたから。

でもある日、いつものようにお昼ご飯を食べていた時に「仕事が楽しい」と笑って話す同機たちの言葉に耐え切れなくなった。

毎週末、必ず飲み会やランチに行く同期に心底憎しみを覚えた。

職場のトイレで何度も泣いたし、家では吐いた。
頭痛と腹痛は日常茶飯事だったし、何が楽しいのか全然意味がわからなかった。

何で私だけこんなにボロボロなんだろう、という気持ちでいっぱいになってしまった。その矢先のこと、

教育係から個人的に電話がかかってきたのを今も良く覚えている。わざわざ他の社員がいない時を見計らった個人電話。

1時間半、たったそれだけの時間にどれだけズタボロにされたか彼は知らないだろう。彼はいかに自分が優秀な社員であるか、ここに至るまでどれだけ自分が周りの先輩たちに厳しく当たられてきたか、それに屈さずどれだけ耐えてきたのかを、今の私がいかに甘やかされているのかということと対比させつつ事細かに教えてくれた。

きっとその少し前にやっとの思いで私が課長にチクったからだろう。課長からそんな教育の仕方じゃだめだ、みたいなことを言われて逆上してるんだろう、となぜだか冷静になってる自分がいた。

90分の(一方的な)会話の中で彼は何度も「君のためを思って言っている」と恩着せがましいセリフを並べ立てた。いつだれがそんなことしてくれと頼んだよ?と心の中はハテナでいっぱいだったけど黙って聞いていた。

これが社会に出るということなのでしょうか。

その後、教育係の変更や体制の変化によりソイツとの縁は切れたものの嫌味な言い方をする奴はどこにでもいるんだな、というのは毎日実感していた。別にそれをいちいち取り合う必要はないと思っていたので、無視することも覚えたものの、流石にたまるものはたまっていた。

だから会社の人事部に相談した。そこで正直に助けてほしい、と伝えた。

だけど待てども暮らせど何の音沙汰もない。

所詮新入社員の戯言、それ以上に今はコロナの対応で忙しいのだと何となく察した。察したと同時にがっかりした。何のための「相談所」なんだろう、と。

これが社会に出るっていうことなのだろうか。

会社に入って理不尽に怒鳴りつけられて、時に心無い言葉を掛けられ正当化される。

それを「いろんな人がいるから仕方がない」と片付ける。

それが社会の厳しさだと知る。

果たしてそれが私のたどるべき道なんだろうかと思った時には行動していた。
ビズリーチへの登録、ブローカーへのアポイント、昔お世話になったバイト先への連絡、資格試験の準備…。

でもどれもしっくりこなかった。なぜだろう、と最初はわからなかった。

いつからか大学生の時のような無鉄砲さは失われ、一瞬立ち止まってしまう自分がいることに気づいた。
そうして立ち止まっている間に自分が何も成長していないことにも気づいた。

だからもう一度原点に立ち返ってみた。
大学時代、何が私をあそこまで突き動かしていたのか。
なぜ私は扶養から抜けるくらいバイトに明け暮れていたのか。
なぜ私はあんなに海外が好きだったのか。

人生において大切なこと

人には器があって、そこから溢れるものは入れられない。
新しく何かを追加するには何かを辞めることが必要だと、『夢をかなえるゾウ』で言っていた。

子どもの頃何度も観た『鋼の錬金術師』で覚えたトーカコーカンの意味も今ならはっきりとわかる。

歴史上の偉人、セネカだって与えられた時間を最小限にしているのは人間自身だ、と言っている。
だから今すぐ無駄なことに手を出すのは辞めろとも。

何を辞めるか、ははっきりしていたけど本当に辞めていいのか、辞めて何をするのかははっきりしていなかった。

だから折しも昔お世話になっていた会社からアルバイトを頼まれた時、人生なるようになっているんだとはっきり実感した。

受けた仕事はキチンと期日を守り、顧客の期待値を上回るものを提出できた、と思う。

そして本当に辞めていいのか、ということに対しては周りが誰も反対しなかったことや一番身近な人に「会社を辞めることはリスクではない」と背中を押されたことが後押しになった。

辞める、と言っても拍子抜けするくらい誰も反対せず、むしろ「よくもったね」なんてちゃかす人がいたくらいだ。

「会社を辞めることはリスクではない」と言った彼は手本を見せるかのようにあっさり先に退職して辛いけど懸命に夢を追いかけていった。

彼にとっての最大のリスクは「挑戦しないで人生を終えてしまうこと」だった。

全ての材料がそろった時、私の中でもう迷いはなかった。

迷いがないと不思議なもので怖いものが何もないのである。

自然と自分がどうすべきか、何をすればよいのかがよく分かっていた。

スピリチュアルな話だし、別にだからあなたもLet's 退職!なんて絶対言わないけど、もし今会社での仕事がしんどい誰かの目にこの文章が留まれば、世の中にはこういうやつもいるんだなって思ってほしいなって。

会社で働くことだけがすべてじゃないし、ましてや一生の大半を過ごす会社であなたの時間を無駄にしないでほしいということが伝わればいいな、と思いながら。

そんなこんなでロシアに来た。


コロナでギスギスしてたのでとにかく日本にいたくなくて、学生時代に勉強していたロシア語が使える職場を探した。

別に英語圏でも良かった、ていうか今思えばそっちのほうが2000%良かったんだけど。笑

ブッチギリで語学や人生経験に自信があるわけじゃないから、競争率の低そうな方を選んだつもり。
我ながら発想が狡いな🙄

でも結果的にロシアで転職先が決まって、今ここにいる。
それに対してはすごく感謝している。

今はこんな情勢だけど、将来、私あの時代のロシアにいたのよと語れる日が来るかもしれない。かもだけど。

もちろんここで色々な体験も経験も積んで(詰んで?🙄)、出会いもあった。
これにだって感謝しなきゃいけないよなって日々ご縁に感謝しつつ、あの時の私の判断に大きな拍手を送りたい。

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