イヤシロチ化 / The Home事業に賭ける思い〜neten株式会社 代表インタビュー vol.2〜
前回に続き、今回はこれまでnetenがイヤシロチ化を手がけた企業について、木下社長にお話を伺ってまいります。
編集部:
前回はnetenのイヤシロチ化事業について、またより広い意味における土地や場がもたらす影響ということについて、お話をお伺いしました。そこで今回は前回の内容を踏まえた上で、netenのイヤシロチ化製品を導入した企業の例について、お伺いしたいと思います。
木下社長はこれまでに様々な企業様からご相談を受けてきたと思うのですが、その中でも印象に残っているところ、導入前と導入後でとりわけ大きな変化があったという事例について、お聞かせいただけますでしょうか。
木下社長:
そうですね、これは以前Paroleでも動画の紹介があったと思いますが、宮城県石巻市の企業で、木の屋石巻水産という企業様からご依頼いただきまして。やはりあの一件は、これまでの中でもとくに大きかったと思います。
編集部:
3.11の東日本大震災で甚大な被害を被った、石巻水産さんですね。私も現地に行っていないので実際の状況まではわかりかねるのですが、あの映像からでも相当なダメージや被害の様子が伝わってきて、本当に心が痛みました。でもその後、劇的に復興していく様子を見て、ものすごく勇気づけられまして。詳しくお聞かせいただけますか?
木下社長:
そうですね。私が初めて石巻水産に伺ったのは、2012年でした。震災から一年経っていましたが、その当時でも、もともと工場のあったところは全部更地になっていまして。もちろんオフィスも倒壊していて壁もぐちゃぐちゃ、窓ガラスもない、という状態でした。それから事務所が二つあったんですけど、工場のある海沿いのところはそういう状態だったんですが、もう一つの内陸側の方にあるほうも一階は相当なダメージを受けていて、電気も通っていなかったんです。そんなところに、復興のための建設会社の事務所があって。当時は本当に、目も当てられないほどの惨状でした。
編集部:
それは大変でしたね…もともとは規模も大きいところだったのですよね。
木下社長:
はい、もともと100名くらい社員がいらした企業だったので。でもその後、震災の影響で、社員の数も減ってしまって...。それでも最初にご依頼いただいて伺った時には、副社長も何とか再建しよう、立て直そうと頑張っていらっしゃったんですね。 とはいえ、その時は工場はなくなっていて製造が完全にストップしていましたから、生産自体はできない状態で。そこで工場に在庫としてあった缶詰、大切な商品も流されてしまっていたのですが、それを一生懸命かき集めて、ラベルを剥がしてきれいにして、復興用として販売されていたんですね。当時テレビなどでもでもよく紹介されていたので、ご存知の方もいらっしゃるかもしれません。
編集部:
そうですね、震災の時期に缶詰工場の特集は、どこかの番組で拝見したかと思います。そのような状況の中で、先方からご依頼をいただいたのですね。
木下社長:
はい。副社長が昔から故・船井幸雄氏がお好きであったというご縁もあり、その流れで七沢代表のことを知って、「これだ!」とピンときて、ご連絡をくださったようです。工場を再建したいから、導入したいと。そこで「ぜひ一緒にやりましょう」ということになって、プロジェクトが始まったんです。
最初にお伺いしたのは2012年4月くらいだったと思うんですけれども。それから程なくして、7月と10月にも続けて伺って。はじめにお会いした時は、何とか復興させよう、立ち直ろうという気持ちで副社長も必死に頑張っていらっしゃったんですが。おそらく途中で、精神的にも辛くなってしまったのだと思います。10月にお伺いした時は、「もう限界だ…」とおっしゃっていて。
そこで早速、当時、最上位機種であった、ロゴストロン100で構文を発信しましょうということになったんです。ただ諸々情報をお聞きした矢先、急に連絡が取れなくなってしまって...。とはいえ、この時すでにプロジェクトはスタートしていたわけですから、本来はこういう計画で進めていきます、という実行計画のご提案であったり、磁場測定の結果をお伝えしなければならなかったのですが、そういうことを直接お話しできる方がいなくて、最初はずいぶんと難航した記憶があります。
編集部:
そうでしたか。それでも更地の状態からカグツチを埋めたり、大黒柱を埋めたり、といったところまで、なんとか進めることができたのですよね。
木下社長:
そうですね。カグツチや大黒柱を埋めたりということになると、今度は建設会社の方との直でやりとりをしなければならなかったのですが。最初は皆さん何もわからない状態で、大変でしたね。でもこの時も交渉に交渉を重ねて、こちらも現場に実際に出向いて「こちらに大黒柱を埋めてください」といったように、埋めていただく場所の指定などもお願いしながら進めていきました。ですから、私も一緒に大きなスコップ片手にヘルメットを被って、穴を掘ってカグツチをたくさん埋めまして。この時は、ようやく基礎工事が始まろうとしている段階で「どこに〇〇をこれくらいの量を埋める」など、埋める場所(位置)や量も重要なポイントだったので、ここだけは絶対に外せないと。まさに真剣そのものでした。
編集部:
基礎の部分は本当に大事ですものね。地道な交渉から現場でのやりとりまで、一つ一つが本当に骨の折れる作業だったこと、お察しします。
木下社長:
はい。2013年1月にそういうふうに埋めて、その二ヶ月後にも現地に伺って、海沿いと内陸の場所に、それぞれカグツチを500個くらい埋めていったのですが、あれだけ何もなかった、更地だった場所が時間の経過とともに徐々にかたちになっていくんですよね。もちろんその途中では、都度状況を伺いながら、どのように変化しているのか?といったヒアリングはおこなうわけですけれども。そういった中で、僅かでも段々と業績が上がってくるわけです。目に見える変化が少しずつ結果としてあらわれてきたんですね。
それから、カグツチや大黒柱を埋めてからちょうど半年くらい経った頃だったでしょうか。嬉しいご報告をいただけることがどんどん増えていって、徐々に手応えを感じられるようになっていきました。以降は、順調に業績も回復していきまして。2期連続で震災前を超える売上高を記録するなど、短期間でV字回復、劇的に業績が伸びるという結果につながりました。こうした事例は復興予算を使われた企業の中でも異例のケースである、と伺っております。
編集部:
更地の状態からプロジェクトをスタートして、目に見える変化が結果として現れてきたと。それはやはり相当嬉しいことですよね。ちなみに副社長は導入後の変化について、何かおっしゃっていましたか?
木下社長:
はい。ちょうど昨年の3月11日にご連絡をいただきまして。震災から8年経っって、当時は本当に苦労したけれども、今は会社の業績が非常にいいと。あの頃からしたら、とても考えられない、ありえないような変化で皆驚いていると、大変お喜びになっていらっしゃいました。それを聞いて、本当に良かったなと。こういう素晴らしい結果になったのは、もちろんご依頼いただいた副社長をはじめ、スタッフの皆さまの復興への想いとご尽力もかなり大きかったと思いますが、一緒に関わらせていただいた身として、やはりとても嬉しかったですね。
それからこれは余談ではありますが、復興に賭ける想いとして石巻水産様は、会社を立て直したい、社員やそのご家族を守りたいという想いの他に、この地域に古くから続いてきた、鯨食文化を守り後世へと継承していきたい、という想いも強くあられたんですね。今思えば、そういった地域社会に対する想い、「この地を守り、良くしたい」という志も、こうした素晴らしい結果につながった大きな理由の一つなのではないかと思うんですね。これは様々な事例を見てきて思うことなのですが、やはり自分のところ、限られた範囲だけを良くしたい・発展させたいというのではなく、自分のいる場所を起点により範囲を広げて、「地域全体を良くしたい」という気持ちがあると、結果も変わってくると思います。やはりそれは、個の利益を越えた、公への貢献というところに繋がっていきますから。(続く)
石巻水産様の復興の様子については、その後、TVを始め新聞やウェブなど、多くのメディアで取り上げられた旨、伺っております。
以下一部をご紹介させていただきますので、ご覧いただければと思います。
◆石巻の缶詰メーカー、どん底からの超復活劇https://toyokeizai.net/articles/-/211721
◆石巻の缶詰会社が震災前より業績アップした理由https://www.yomiuri.co.jp/fukayomi/20170310-OYT8T50025/
◆石巻のサバ缶が「希望の缶詰」になった必然https://toyokeizai.net/articles/-/212695