曖昧な生と死 〜白川学館祭祀、直会によせて〜
執筆:一般社団法人白川学館 事務局
このたび、七沢グループのスタッフのご尊父様「十三年祭」の祭祀と直会にて、スタッフとしてお手伝いさせていただきました。
ご親族の皆様が故人を偲び、その場を故人と共に楽しんでいらっしゃるように見えました。
参加した皆様が故人の存在を近くに感じられていたように見えました。
そのような光景を見ていますと、今まで自分が思っていたような「死」に対する認識が否応なしに変わりました。
私自身、親族が亡くなってお葬式に参加しても、その故人を偲びつつも、なんとなく儀礼的に感じてしまっていました。
それは、「生」と「死」が明確に線引きされているからだと思います。
つまり、「死」の世界は、「生」の世界と明瞭に別れていて、決して通じることのない世界というようなイメージがありました。
しかし、今回の光景を目の当たりにして、「生」と「死」は完全に別れている世界ではなく、その世界は別々に存在しつつも、つながっているように感じました。
川から海に至る間に汽水域があるように、川と海は完全に別々な存在ではなく、その間に、どちらともつかない場所があります。
生と死は、それと似ているなと思いました。
つまり、生と死はつながっているということです。
それは、あたかもメビウスの輪のように、クラインの壺のように、表と裏が一如になっているようでもあります。
古事記でも、伊耶那岐命が黄泉の国(死者の世界)に行ったと書かれています。つまり、生者の世界と死者の世界は連続しているとはっきりと書かれています。
さて、宗教がまだ生まれていない時、人間はどうしていたのでしょうか?
縄文時代では、住居の近くに穴を掘って埋めていたようです。
それだけ、生と死が近かったのです。
今回の祭祀の光景を拝見させていただき、生と死が繋がり、故人と共に楽しんでいるように見えました。
それは天の岩戸開きのように、宴会を開き、天照大御神を誘い出した光景にも重なります。
そして、故人の生前の後悔や不安や未練をその場で解消し、安心して供養され、遠津御祖神となる・・・
以下に、七沢代表理事が直会にて語った内容を抜粋いたします。
今回は、どういうところに眼目があるかということですが、本当は生きている間に「食べてみたかった」「これも心配だ」ということを解決していけば良い人生になるのですが、なかなかそんな人はいないわけです。
故人を我々が生きているかのような存在として供養できればと思い、方法を考えたときに、子どもや周りの人たちにヒアリングしたわけです。
故人は病気と10年くらい闘った時期もありました。不安や食べたいものがあったことが分かったので、全てに対応することはなかなかできないけれども、13回忌だから、13品目くらいのものを立てて共に食べるという直会をやれば、故人もさぞ満足できだろうし、また参加する人も満足できるのではないかと思いました。
新しいカタチの供養が、ここに行われました。
触れてはいけない、タブーとされてきた「死」の世界が、ここに身近な世界となり、供養できる道が、ここに開かれました。
そんな祭祀・直会でした。