ニュートリノと私
執筆:ラボラトリオ研究員 七沢 嶺
私は子どもの頃より、宇宙にいくらかの興味をもっていた。当然ながら専門的なことはまったくわからないが、子ども向けの図鑑をみては宇宙という神秘を想像していた。真っ暗闇に浮かぶ赤茶けた惑星には、海月(くらげ)のような不思議な生き物がいて楽しく暮らしているのではないか。宇宙の端っこはナイアガラの滝のようになっているのではないかと信じていた。
私が小学校高学年だったか中学生のとき、マーズパスファインダーという名前の探査機が火星に降り立った。画像に映る赤い土は、専門的には地球のそれとはまったく異なるものだと思うが、妙に親近感があった。地球にも似たような場所がありそうだ、と。しかし、私が期待しているような生き物は当然おらず、太古に水があったであろう痕跡のようなものしかなく、ひどく落胆したことを覚えている。勿論、水があるということは生き物が発生する条件として非常に重要なことであるのだが、当時の私にはまだその考えに至るほどの洞察力はなかった。
同じ頃、私はニュートリノという「もの」があることを知り、それが科学の進歩にとって大変重要なものであることを聞いた。そこで、日が落ちてからベランダへ出て、空から降ってくるであろうニュートリノを探してみたが一向にみつからない。大量に降ってきているはずなのに、みつからないのである。近くのバケツにも粒々したものは一個も溜まっていない。また、私はひどく落胆したのであった。
時は過ぎ、私が高校生になった頃、物理学者の小柴昌俊教授が山梨県甲府市で講演会を開いた。私は、通う高校の代表として(というよりも希望者は私を含めふたりしかいなかったのだが)参加し、巨大な観測装置カミオカンデのこと等様々な興味深い話を聴いた。子どもの頃にベランダでニュートリノを探していた自分を思い出して少し可笑しくなった。ニュートリノが水分子と極稀に相互作用するのであれば、私の身体の一部ともいつの日か反応する瞬間が来るのではないかと、また幼稚な希望を抱いた。最後に質問の時間が設けられ、とある学校の学生が大胆な質問を投げかけた。「ニュートリノを観測して一体何の役に立つのですか。」
私はぎょっとした。控えめな笑い声があがった。それは、およそ大人たちの声に思えた。私の席からは遠いため、小柴教授の表情はよくみえなかったが、微笑んでいるように感じられた。そして、およそ次のようなことをいった。
とても良いご質問ですね。君がおっしゃるとおり、私が長年続けてきたことは、何の役に立たないことかもしれません。ニュートリノは食べ物でもないですから、お腹が膨れることもないでしょう。また、ほとんどすべてがこの地球を、私たちの身体を幽霊のようにすり抜けて行ってしまいますから。しかしね。何十年後か、何百年後か、わかりませんけども、いつの日か役に立つんじゃないかと信じてこの道を歩んできたんです。もし、君が生きている間に何の役に立ちそうもなかったのなら誠に申し訳ないと謝るしかありません。
私は心のなかで涙が溢れたような気がした。中学生のときに、数学の難しい公式や因数分解が何の役に立つのか、と親に向かって言い放ったことを思い出した。行きたくもない学校になぜ行かなければならないのか、学校が何の役に立つのか、と先生を困らせたこともあった。役に立つのかどうかは行う前から決めなくてよいのではないか。そして、役に立つということの本質を言い当てる者が果たしているのだろうか。
今日も空を見上げていると、やはりニュートリノがざあざあと私の肌を打つことはないけれど、なにか遠い宇宙からの心温まるちからが降り注ぎ、遥かなる神秘と対話しているような気持ちになる。勿論、その感覚が何の役に立つのかわからない。しかし、それでも生きるということの一瞬を愛することはできそうである。なぜなら、このような浪漫を共感し、このような美しい時空間を共有してくれる仲間がいるからである。私たちは良縁という目に見えない引力によって集まった星々かもしれない。今生きるすべての人は、職業や身分、思想の如何等に関わらず、この宇宙全体を照らす希望の星なのではないかと思えてくる。 最後に、この宇宙という神秘を、神秘で終わらせることなく、科学的、哲学的に謹厳実直に探究する研究者の皆様に最大限の敬意を表したい。
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【七沢 嶺 プロフィール】
祖父が脚本を手掛けていた甲府放送児童劇団にて、兄・畑野慶とともに小学二年からの六年間、週末は演劇に親しむ。地元山梨の工学部を卒業後、農業、重機操縦者、運転手、看護師、調理師、技術者と様々な仕事を経験する。現在、neten株式会社の技術屋事務として業務を行う傍ら文学の道を志す。専攻は短詩型文学(俳句・短歌)。
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