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シニアで多言語習得に挑戦している方に

本来ヨーロッパにいる筈なのですが、事情があって、今、日本に一時滞在中です。英語を話す機会が殆どないので、オンライン英会話を再開しました。
昨日、とても厳しいけど、熱心で親近感のある先生のレッスンを受けました。

正直に今の悩みを打ち明けました。伸び悩みというか、スランプというか、シニア故の悩みも含めて。
とても厳しいことを指摘されました。
でも、それで、ハッと目が覚めました。

1.「スランプ」という『甘え』
確かに、ギリシアの大学で、マルチリンガルの英語ネイティブのクラスメートたちの中で、自分の言語プライドが完全に潰されてしまいました。それで、いまいち、現代ギリシア語の学習にも身が入らず、怠りがちになってました。「スランプ」という言い訳で。
その隙を突かれてしまいました。

2.「シニア」という『甘え』
生物としての経年変化(「劣化」では決してない)は、生物なのだから大前提だし、どうしようもない事実です。問題なのは、「シニア」だから記憶力の衰えは仕方ないという『甘え』こそです。若者だろうが、シニアだろうが、外国語学習者としては同じ目標にチャレンジしているのでしょう。若者が「5回」で記憶できるとしたら、シニアは「50回」やればいいだけのことじゃないですか!個人差もあるでしょうし。
いずれにせよ、「シニアだから」は『甘え』以外の何ものでもありません。

3.言語が好きならやればいい!
確かに、若者の多言語習得には、その人生というか社会生活で大きなメリットがあるのでしょう。
シニアにとっても、シニアにとってのメリットは小さくないのでしょう。特に、何か目的があっての多言語習得ならば、年齢なんか関係なく、全力でやればいいじゃないですか。言語が好きなんだったら、やらない理由はないじゃないですか。

4.言語は「学習」するものではなく、「生活習慣」
「学習」だと思うから「間違ったらどうしよう(;゚ロ゚)」とか余計なことを考えて、いくら学習しても上達しないのでしょう。言語は、学習するものではなく、人生そのものとして、その言語世界を引き受けること、日常生活そのものなのだと思います。
「言語の学習」と思うから、きついと感じることがあるのであり、日常生活なんだから、キツいもなにもありません。空気を吸うのと同じです!

余計なノイズに惑わされず、やるべきことをやるだけです!

19.dec.24 あまりにもあいまいな-レジリエンシー



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