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【政治家がコンサバだから際立つ?小泉さんの未来発言】

選択的夫婦別姓のお話。
現代の政治家には、なぜこういう発言が無いのか不思議に思います。
若い世代が投票しないからでしょうか。

日本の政治家は、夫婦が別の姓を名乗って良しとする人が少ない印象を持ちます。
その理由もいたく感情論で、根拠の薄い考えだとも感じるのです。

ワタシは、夫婦別姓の何がそんなに支障なのかわからない程度には、選択的夫婦別姓論を擁護します。
別姓にしろという「強制」ではないですからね。
「選択」すればイイだけですから、何の不自由があるのだろうと不思議なのです。


他国は別姓で社会が回る

夫婦別姓は、他国ではとてもナチュラルであるようです。

ワタシが精神科に勤めていた頃、外国の方を何組か担当したことがあるのですがね…
夫婦で名前が異なったのです。

患者さんのハナシを聞いていると、自分の名前で一生を過ごすことを知りました。
ごくごく当たり前、自然にその価値観を話します。
その考え方を聞いて、夫婦別姓に関してハッと気づくものがありました。
日本に暮らしていると、このように異なる価値観に出会うことが少ないものだと実感します。

日本の政治家が夫婦別姓を忌避する理由には、「子の名前に困るだろう」だとか「家族っぽくない」と述べます。
感情的で、小学生みたいな論拠です。
他国の成功例を参考にするなり、思考を巡らせても損はないのではないかと感じます。


民法はたった
100年ちょっと前にできた

夫婦別姓を忌避する人たちは、その理由を「日本の伝統を壊すから」とか「日本の昔ながらのうんぬん」などの発言をします。

戸籍ができたのがたったの百数十年前。
明治の頃です。
それ以前は、ブリのように成長するごとに名前を変えたほど。
例えば、るろうに剣心の子ども時代は「心太」でしたが、師匠に「剣心」と名付けられます。
信長も秀吉も、皆、複数の名を持ちました。

要するに「日本の伝統うんぬん」説はこの100年余りのものであり、「伝統」と呼ぶにも躊躇うほどの短期間であるということ。
夫婦別姓を認めない主張の理由にしては弱いと感じます。


時代が流れていることに
気づきたい

明治時代は確かに、戸籍を作ることで助けられた社会構造があるのだと思います。
戸籍のおかげで、日本人がどこにどれくらいいて、どんなコミュニティがあるのか…みたいな状況が国として把握できたのだろうと考えます。
民法にせよ戸籍にせよ、その当時には欠かせない意図のあるものだったはず。

ただ、そこからもう100数十年経ち、日本は国として独り立ちできました。
ネットワークも価値観も世界観も様変わりしました。
この時代に沿う発想の転換が必要なのではないかと思うのです。


旧姓はやっぱり認めない

夫婦別姓を認めないことで、政治が何かの徳をしているのでしょうか。
免許証やらマイナンバーカードやらに旧姓を載せることができるようになりましたが、あくまでも「ニックネーム」的扱い。
役所、医療、至る所で“ニックネーム”には見向きもされません。

ワタシの個人的なつながりのある人たちは、男性が名前を変えることが増えてきました。
男性が当事者になれば、男性ばかりの政治家も多少は見方が変わってくるのかもですが、それには30年くらいかかりそう。そんな悠長なことやってられないなぁと感じます。

小泉さんの記事を見て、少し日本にうんざり感じたのでした。

ぱれぱれ