古都チェンマイで感じる旅の楽しみ【EP3・タイ旅編】
二日目の記事を見ていない方は、まずこちらを見てほしい。
三日目ーチェンマイ
チェンマイの朝、霧
チェンマイ初日。この日はツアーに参加するため、早めに起きる。
宿はエアビーで取ったので、もちろん朝食はついていない。
散歩がてら、朝ごはんを買いに外へ出た。チェンマイの雰囲気が僕はとても性にあっている感じがする。誰も急いでない。のんびりとした時間がチェンマイには流れていたと思う。通りすがりに「マリファナ」の看板が当たり前にり、至る所にセブンイレブンがある異質さ。その横で植物に水をやるタンクトップのお爺さん。
いくつか屋台を物色して選んだ。宿に戻り朝食をとる。一食50バーツほどだっただろうか、チリソースがかかったチキンライスみたいなものを食べつつ、出かける準備をする。
象、牛車、筏下り
ツアーは、象乗り体験、牛車乗り体験、筏川下り体験、食事付きの至れり尽くせり。僕はあまり予定を決めずにチェンマイを楽しむのも一つだと思っていたのだが、タイに来て象に乗らないのは何か損をしている気持ちになりそうだったので、渋々ツアーに参加することにした。
実際象に乗るまでは、馬に乗るのととさほど変わらないだろうと思っていたが、乗ってびっくり。全くの別物だった。まず坂を下る時に異様な揺れに襲われる。しかも、安全ベルトは一切なく、頼れるのは鉄の棒一つ。
片手にはカメラを持っていたので、振るい落とされないように必死で捕まった。そのまま象は川の中に入り、ゆっくりと進んでいく。
一番恐ろしかったのは、坂を登る時だった。腰の高さ程しかない籠が一歩進むごとに腰にぶつかる。その度に後ろに振り落とされそうになるのを耐える。もう必死だった。もはや新感覚のアトラクションである。
昼食を挟んで、今度は筏下りである。
途中で漕いでみたいというと、船頭さんは「いいよ!」とあっさり交代してくれて、到着する直前まで3人で筏を漕いでいた。途中何度も座礁してしまったが、その度に川に裸足で降りて、みんなで船を押して戻す。すごく純粋な体験だったなぁと今振り返ると思う。唯一の心残りは、チップを渡すという文化に不慣れで、渡すタイミングを見失ってしまったこと。すごく楽しかったという気持ちを伝えられなかったのは残念だった。
カオソーイの味
旧市街に戻ってきた。カオソーイの名店と呼ばれているカオソーイ・ルン・プラキッドというお店である。
実際に来てみるととても雰囲気がある。こういうストリートにはみ出したお店って日本ではほとんど見られないよなぁと思う。文化の違いだとは思うが、そう考えると日本は結構閉じている文化かもしれない。
写真は残ってないが、店内には扇風機しか付いていない。30度を超える国なのに、クーラーがない。チェンマイはまだ涼しいから大丈夫なのだろうが、この中で激辛メニューを食べる我々もどうかしている。
結論、カオソーイは美味しかった。でも、ココナッツのせいで、味を感じられない。もう一度チェンマイに訪れることができるならリベンジしたい。みなさんココナッツにはご注意を。
熊本人とチェンマイにて
カオソーイを食べた後、旧市街にあるホテルまで散策がてら歩いて帰る途中にターペー門を通った。チェンマイの旧市街は昔は城壁で囲まれていたのだが、今はこのターペー門のみが残っているらしい。
空港でしか両替をしていないこともあって、再度両替をするため、一番レートのいいと言われる両替所に行った。待ち時間友人と話していると、話しかけられた。話してみると、偶然熊本出身の方だと判明する。
まさかチェンマイという遠い異国の地で日本人はともかく、熊本の人と会うことになろうとは思いもしない。たわいも無い話をした後、記念に写真を撮って彼女とは別れた。
またどこかで会うかもしれないし、会わないかもしれない。でも、旅で出会った人たちとの会話はいつも頭の片隅に残っていて、ふとした時に思い出す。それがいいのだと思う。
締めのパッタイ
色々あった一日が終わり、一度宿に戻る。僕は、旅をした時の宿に戻る時の心持ちがとても好きだ。少し浮つきながらも、オーナーさんに挨拶をして部屋に戻る。シャワーを浴びて、布団に潜る。別に特別贅沢なことはできないが、この何気ない日常のありがたみを旅に出るとひしひしと感じるのだ。
普段家で過ごす時は、旅と違って時間のありがたみを感じることは少ない。惰性で生きているような感覚がある。でも、旅に出ると違う。自分でお金を払い、その時間は大体一週間〜二週間と限られた時間である。その中で何ができるかを考える。だから、短い期間でもすごく長い時間感覚になるのだと思う。
この夜は、マッサージにいってしまった友人をよそにもう1人の回復したHP満タンの友人とともに寺社巡りをした。時間があったので、ど観光地にいってみたのだ。夕方の日が暮れる頃だったので、人も少なく、楽に回ることができた。
一通り寺院を巡った。今日一日歩いてばっかりだったので、3時にカオソーイを食べたにもかかわらずお腹が減っていた。
本日4食目。まあ旅の時ぐらい無礼講だ!と思いつつ飲食店を探す。とにかくチェンマイは、お店と外の境界があまりにも曖昧だ。その程よい開放感と落ち着くことができる空間が心地よく感じる。
メニューを開く。昼に食べたカオソーイ以外で美味しそうなものはないか探す。目に留まったのがパッタイ。ビジュアルが日本人の目に馴染みがあったのかもしれない。とにかく注文をした。
とにかく美味しかった。「なんだこの美味いものは、この安心感は!」と衝撃を受ける。箸が止まらなかった。あっという間に食べ終えた。その証拠に写真が残っていない。人は本当に美味しいと思った時は写真を撮ることなんて考えないのだなと改めて思う。
旅の良さは偶然性だ
こうして記事を書いていく中で、ふと気づくことがある。どんなに小さな旅でもいい。計画をしても、全くの直感でいってもいい。
どちらにせよ、うまくいかないことは出てくるのだと思う。ガイドブック通りにいっても、ツアーに参加しても偶然は起こる。
偶然話かけられることもあれば、偶然言語以外で通じあったりすることもある。僕は計画がとことん苦手だ。スケジュール帳やカレンダーを買っても最初だけで途中から何も書かなくなる。
それでもいいのだ。大抵の場合、上手くいかないことばかりだ。どれだけ練っても、イレギュラーが起こるなら、流れに身を任せてみるのもいいのではにないかと思う。
そういった中で記憶に残っていくものは、イレギュラーなことだと思う。それが自分を形作っていくのではないか。序文でも書いたような小さなことをしっかり忘れないようにしたい。
次回はチェンマイ二日目である。
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