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『もしもし、一番星』 #10 — 待ち合わせは南口 — by 阿部朋未

“紫陽花とすれ違う電車 待ち合わせは南口”

学生時代に作ったオリジナル曲を自然と口ずさめた自分にびっくりした。案外ちゃんと覚えているものらしい。ギターを弾いて歌わなくなってからもう10年近く経つだろうか。それからいって新しい歌は、もう作れなくなってしまった。

『南口』と名付けられたその歌は下北沢が舞台となっている。 ”紫陽花とすれ違う電車” は、歌詞の通り梅雨の季節に渋谷から京王井の頭線に乗ると見れる好きな景色で、それをきっかけに歌にしてみたのが始まりである。
歌わなくなったのと同じくらいに、大好きだったあの街からはいつしか足が遠ざかっていた。

下北沢に通い始めたのは、一人で東京に行けるようになった高校時代からだったように思う。そもそも下北沢を知ったきっかけは小学生の頃に観たテレビドラマ『下北サンデーズ』で、”ライブハウスの街”であるよりも”演劇の街”というイメージの方が先に定着した。のちに「ナゴムレコードのすごい人」だと知った有頂天のケラさんも、私の中での印象はいつまでも劇中、時折小劇場に現れる「下北沢の神様」の姿のままだ。『下北サンデーズ』の影響で、ライブハウスの名前を覚えるよりも先に下北沢に立ち並ぶ劇場の名前を覚えたので、数年後にようやく初めて本多劇場を訪れた時にはさすがに鳥肌が経ち、ヴィレヴァンの真上に位置しているのもなおのこと驚いた。上京してからより通いやすくなったこともあり、休みの日になれば板橋からの面倒な乗り継ぎを経て高円寺か下北沢か、またはその二つをハシゴして行き来するような日々が続いた。どちらも異なる個性的なカルチャーが脈々と流れている街。フジファブリック『茜色の夕日』のジャケ写となっている赤い陸橋のある高円寺も好きだったけれど、当時の自分には聖地とも言えるヴィレヴァンが眩しく輝く下北沢の方が居心地が良かった。City Country City のカルボナーラの美味しさに目を見開き、CCO では下手くそなギターに乗せて思いの丈を放つ。憧れの本多劇場の舞台にはラーメンズの小林賢太郎がまだ立っていた時代で、お気に入りである東洋百貨店を起点につま先から頭までどっぷりサブカルチャーに浸かった、学生時代最後の2年間を過ごした。

学生時代、東京で過ごす最後の夏。一度だけ朝までオールしたことがある。その舞台こそが下北沢だった。通っていた学校の恩師のバンドが下北沢の箱でライブをするというので、同級生みんなで観に行こうとなった。上京してから1年以上経ったとはいえ、夜の東京に慣れきっていない私達は事前にオールする計画を立てた。真夜中になだれ込んだノリが結果としてオールになることに対して、事前に計画するなんていささか格好悪いかもしれないが、まだ健全な部分が残っていた私達には、若干の後ろめたさがあるようなドキドキする行為だったのかもしれない。

恩師のライブは終始盛り上がって大団円を迎えた。けれども、私達の本番はこれからである。ライブが終わり、時刻は22時前。より熱を帯びていく街の喧騒。それほど土地勘もないのでどこの居酒屋がいいとかわからないまま、適当に客引きに捕まって、適当な居酒屋さんへ案内された。4対5でテーブルに向かい合って、慣れないお酒でワイワイ盛り上がる。気づけば隣には密かに想いを寄せている同級生が座っていて、かと思えば会話の流れで自然に「彼女が〜」と話し出して、耳を傾けながら静かにうなだれた。その傍で心情を知る友達がこっそり慰めてくれた。

終電間近となり、駅へ駆け込む人々。それを傍目に「次どこ行こっか」と悠長に歩く私達。いつもなら寝静まる時間帯に街を歩いていて、この先どうなるかなんて誰も何も予想がつかない。高校時代では叶わなかった未知の青春を今まさに歩んでいて、妙な背徳感で胸がざわめく。

しかしながら、夜遊びのすべをそこまで知らない私達は、結局始発までカラオケするほかなかった。駅前のコンビニで手頃なお酒とおつまみを買って、朝まで開いているカラオケボックスへ。2000年代前半の邦楽ロックやアニソン、ニコニコ動画で流行っている曲を選曲し、深夜特有の意味のわからないテンションでひたすら歌い続けた。音楽の専門学校に通っているとはいえ、人間、4時間もカラオケルームにいると歌う曲が尽きてきて、最後の方は誰もがゆるゆるとしたムードに着地していた。カラオケボックスを出ると外はもう明るくなっていて、駅までの道を他愛もない会話をしながら歩く。道端には私達と同じようにオールしたらしいぐったりした若い人達の姿もちらほらあって、この街ではごく当たり前の光景なのだと知った。そして私達は駅のホームにて小田急線ユーザーと井の頭線ユーザーに別れ、それぞれの家路に着いた。新宿に差し掛かる頃に車窓に差し込んだ、オレンジ色の朝焼けが眩しかったことを今でも覚えている。

思い返してみれば、劇的なことが起きたとかはまったくなく、学生が健全に朝まで下北沢で遊んだという、ただそれだけの話でしかない。それでも、あれから何度下北沢を訪れてもあの夜の残り香を探してしまうし、朝まで東京で遊ぶなんてことはそれっきりなくなってしまった。いつしかオールして遊ぶことが当たり前になる未来を想像していたけれど、想像から正反対に位置するごく普通の日常を過ごしている。劇的なことなど何も起こらなくとも、私にとっては特別でかけがえのない夜だった。しばらく訪れないうちに、駅は真新しくなってしまったらしい。

井の頭線は明大前で下北沢行きと吉祥寺行きに分かれる。先月、初めて立ち寄ったココナッツディスク吉祥寺で、曽我部恵 一 BAND の『サーカス』のレコードを見つけた。再生する度に思い出す、このまま朝が来ないでほしいと何度も願ったあの夏の夜のこと。開いたスマホには暗いカラオケボックスで賑やかにはしゃいでいる、少し幼い面影の私達の動画が残っていて、画面上の日にちは「2012年8月」と映し出されていた。最初で最後のオールをした時に落とした魂の小さな片割れが、今も下北沢の夜を覚束なく彷徨っている気がしてならない。

阿部朋未


『もしもし、一番星』 TRACK 10

阿部朋未(アベトモミ)
1994年宮城県石巻市生まれ。
尚美ミュージックカレッジ専門学校在学中にカメラを持ち始め、主にロックバンドやシンガーソングライターのライブ撮影を行う。同時期に写真店のワークショップで手にした"写ルンです"がきっかけで始めた、35mm・120mm フィルムを用いた日常のスナップ撮影をライフワークとしている。2019年には地元で開催された『Reborn Art Festival 2019』に「Ammy」名義として作品『1/143,701』を、2018年と2022年に宮城県塩竈市で開催された『塩竃フォトフェスティバル』に SGMA 写真部の一員として写真作品を発表している。2023年3月、PARK GALLERY にて個展『ゆるやかな走馬灯』を開催。
https://www.instagram.com/tm_amks
https://twitter.com/abtm08

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