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猫背で小声 | 第8話 |おいしくは生きられない

ぼくは中学校へ1日も行かないまま卒業しました。

世の中の順番や非公式ルールとして、このまま高校へ行く、というのがお約束的な考え方ですが、高校へ進学し周りの人と仲良くすることや授業を受けるという学校生活がイメージできなかったため高校進学は諦めました。

地元の高校にも行こうかと思いましたが、その高校は芸能人も通うようなパリピ系と化したぼくには、相変わらず学校への拒否感が否めませんでした。「すんなり」といかないのがぼくですね。精神的イモ高校生 と化したぼくには、相変わらず学校への拒否感が否めませんでした。

多分、高校に通ったとしても、お笑い芸人の宮下草薙の草薙のように、1日学校に通っただけで辞めてしまうというのが想像できたため、今でも高校へ進学しなかったのは正解だと思っています。

今、学校へ行けなくて悩んでいる人がいるなら、無理して学校へは行かなくてもいいし、行かないことで感じ取ることや、学ぶこともあると思うので、学校へ行かないという選択肢も間違いじゃないと思います。

ただ、高校1年生という、人間として一番多感で敏感な時期に、世の中や社会に接していないと、将来自分が劣っているとか、困ると感じることが多々あると思うので、何かしら世の中と繋がっていたほうがいいと思います。

当時の事を思い出すと、今のように YouTube や SNS とかで引きこもりでも、自分の考えを外に出すということができる時代だったら良かったなと思います。世に引きこもりで困っている人は多々いるわけで、その考えや困っていることを発信して、自分と見ている側との考えの共有ができると思うからです。前向きに自分の気持ちを伝えるという気持ちになれないのが引きこもりというのも重々承知しております。

しかし、ぼくの中で精神的な病気や悩みは、同じ境遇の人 との繋がりで緩和していくと感じています。サラリーマンが酒場に行って同僚とグチを吐き、その連中の連帯感が強まっていくみたいなイメージです。

こんな事を今では書けますが、当時のぼくはなにもできず、なにも行動に起こせず、誰も仲間がいない人間だったので、やっぱりイモ人間だったなと感じます。



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誰かイモに、美味しい蜜をかけて、
美味しいイモ人間にしてくれという時代でした。


でも

「素材はいいイモなんだけどな〜」

と自分を騙し励ましていました。

生きログ 2.3 点。


ぼくは自信のない生き方をしていました。


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近藤 学 |  MANABU KONDO
1980年生まれ。会社員。
キャッチコピーコンペ「宣伝会議賞」2次審査通過者。
オトナシクモノシズカ だが頭の中で考えていることは雄弁である。
雄弁、多弁、早弁、こんな人になりたい。
https://twitter.com/manyabuchan00
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