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猫背で小声 | 第7話 |いまだに担任、 まだ生徒

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さて、

相変わらず具合の悪い日々が続きました。

まるで不良のように中学校へは行きませんでしたが、ある日を境に、担任の先生と手紙でやりとりする生活が始まりました。逢った事もない先生から手紙が届き、先生からの質問事項に答えを書くという往復書簡で、先生による「ぼくと学校との接点を途切れさせないようなやりとり」はまるで仮想の学園生活でした。

往復書簡を何度かしたのち、先生がぼくのウチに来て軽く挨拶をするという、初めての顔合わせが終了しました。初めての顔合わせであり、初めての三者面談的な出来事でした。その後、往復書簡は終わりましたが、ぼくが一日の中で思った事を書くという交換日記が始まりました。

その日記は、このエッセイのようにおもしろおかしく自分のことを書くというようなスタイルではなく、オリックスのイチローがヒットを打ったとか、野球中継の視聴率が20%を超えたとか、義務教育とぼくとの繋がりではあんまり関係のない内容でした。しかしこの交換日記が、ぼくが、学校と、担任の先生へ興味を抱く出来事となりました。学校へは行っていませんが、学校にもこんな人がいるんだ〜とか、学校に対する興味が少し湧いてきました。

小学校時代に見た深夜番組のおっぱいのように頭から離れない、浅くもあり深くもある興味ですかね。大人になってから始めるアメブロのように毎日書かなければ!という手の日記じゃなくて、学校に行かないぼくでも、誰からか必要とされているという喜びみたいな感じを覚えました。文字を書くことへの悦びが生まれました。

あの時の日記の文章は、苦しいだとか、悲しいだとか、嬉しいだとか、様々な要素を間接的に吐き出した、ある意味「中学生日記」のようでした。


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あの時からかれこれ25年ほど経ちますが、今でも先生とはやりとりが続いており、25年連続で先生の家に遊びに行くということが続いています。

不思議な縁ですよね。その学校には行っていないのに。

縁というものは不思議なもんだとつくづく感じております。

病気になり「ぼく、おかしいな」とも思いましたが、「おもしろいな」とも思わせる中学校生活でした。こんな想いは、先生の前では恥ずかしくて口には出せませんが、この関係性がいつまでも続け、と思いながら生き続けています。

こうして、中学校に一度も行かないまま卒業を迎え、
熱くて、でも淡々とした義務教育を終えました。

めでたしめでたし、なのかな。


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近藤 学 |  MANABU KONDO
1980年生まれ。会社員。
キャッチコピーコンペ「宣伝会議賞」2次審査通過者。
オトナシクモノシズカ だが頭の中で考えていることは雄弁である。
雄弁、多弁、早弁、こんな人になりたい。
https://twitter.com/manyabuchan00
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