猫背で小声 | 第1話 | 社会の窓からごきげんよう
はじめまして、近藤学です。
パークギャラリーでは下の名前 マナブさん とは誰も呼んでくれずに、近藤さんと呼ばれております。
たぶんパークのみんなは「近藤さん」を丁寧語として扱ってくれているのだと、ぼくは解釈しています。
さて、ぼくは2月で41歳になるサラリーマンなのですが、小学3年生から不登校で引きこもり歴が計20年を数えます。
人生の大半が自分の部屋の中でした。
統合失調症 というメンタルの病気を抱えておりますが、パークでのいじられ役がトテモ心地よく、パークに行くことで気分的にも楽になった猛者でもあります。
そんなぼくの引きこもり、いや、引きこもりという言葉はあまり好きじゃないので 自分磨き の遍歴を書いてみようと思います。
自己紹介はさておき、目の前の AD がカンペで本番5秒前 !! と合図を送っているので、そろそろ本題に。
地元の小学校ではスポーツも勉強もできた少年でした。
毎年クラス委員になり「クラスの象徴」という感じです。
バレンタインデーとか、クラスの枠を越えて女の子たちからチョコを貰っていました。
順調でした。
順風満帆というか、船の帆が「パンパンにモッコリ」していた小学校生活でしたが、ある日、EDにでもなってしまったかのように学校生活の『帆』がシボんでしまった出来事が起こりました。小3のことだと記憶しています。
ある日、クラスの机を教室の端に置いて、みんなで円状になって話をするという授業がありました。円を囲みみんなで楽しく話していましたが、ぼくの声が大きかったらしく、担任の先生から「ちょっと来い」と声をかけられたのです。
ぼくは「ふ〜んなんだ〜、なにされるのかな〜」
と思って担任の元へと足を運びました。
なにをされたか。
いきなりみんなの前でズボンと下着を下されてしまったのです。
ハマダ、ホウセイ、担任、アウト〜。
なぜに、なぜに、意味0厘。
当時は鈍感で、「恥ずかしい」としか感情はなかったと思いますが、今であれば学校自体のイメージが落ちかねない大きな事件だと思います。ぼくが脱いでも平気な「井手らっきょ体質」ならよかったんですが。
ズボンは下されましたが、すぐにズボンを上げ、ぼくは泣き出すこともなく、その大事件のカーテンを閉めました。
これから社会の窓から見える日常が澱(よど)みはじめるのだろうか…そう思いながらズボンのチャックを上げたかどうかは定かではないです。
そんなことがあった日も普通に帰宅して、靴下を脱ぎ、指の間に付いたカスみたいなアカを靴下でボロボロと落とした MY ルーティン。
なぜか親にも話さなかったこの出来事。
母親は友達のお母さんから聞いてこの事件を知ったようです。
人生を狂わしかねない出来事、なぜ親に話さなかったのは今でもよくわかりません。
上手に閉まらなくなった人生のチャックをどう閉めるか、
が、今後のテーマになるかもしれません。
お口チャック YKK
持田香織 ELT
お後がよろしいテイで締めさせてもらいます。
近藤 学 | MANABU KONDO
1980年生まれ。会社員。
キャッチコピーコンペ「宣伝会議賞」2次審査通過者。
オトナシクモノシズカ だが頭の中で考えていることは雄弁である。
雄弁、多弁、早弁、こんな人になりたい。
https://twitter.com/manyabuchan00
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