COLLECTIVE レビュー #52 Nobu Tanaka『みんなの思い出』(東京都)
もう10年以上も前、色の褪せた「レトロ」なことよりもヴィヴィッドでキラキラした「アーバン」なことが求められた時代、デジタルカメラ勢に押され、静かに「製造販売終了」を待つだけだった「写ルンです」を街中のカメラ屋からかき集めて、友人たちと、行く先々のパーティや旅行をひたすら撮影していたことがあった。街の在庫では足らず FUJIFILM の本社に赴き「写ルンですをください」と頼んでみたら「こんなのもう誰も使わないから」とでも言うかのように、たくさんの在庫をくれた。呼吸するかのようにシャッターを切った。
そのうち、僕らの中でもひとつの写真ブームが去って、現像されないままの写ルンですが大量に余った。現像もプリントも値段があがっていき、いつか、いつかと思って、40歳になってしまったのだけれど、最近、みんなが少しずつ、あの頃の写真を現像しはじめた。
使用期限のとっくにすぎたフィルムからは、色褪せた「みんなの思い出」が出てきた。戦争とか、ウイルスとか、病気とか死とか、政治の腐敗とか、なかった時代な気がする。いや、あったのかもしれないけれど、見えないくらい走り抜けてた。無責任と言われようが、自分らしく生きる方が先決だった。
COLLECTIVE ZINE REVIEW #52
Nobu Tanaka「みんなの思い出」
大雑把に刷られたA4の表紙に落書きのように描かれた「みんなの思い出」というタイトル。PARK GALLERY とも深い交流のある写真家の Nobu Tanaka くんによるフォトジンだった。
コロナ禍で失ってしまった輝き。
テレビでは戦争や政治腐敗、不況のニュースが続き、そのしあわ寄せは対岸の火事だと思っていたのは束の間、徐々に効いてくる麻酔のように、少しずつぼくらの感覚を麻痺させた。そんな「いま」、よりも「むかし」の輝きを信じて、見た人がポジティブな気持ちになれるようにと編んだのがこの1冊だ。過去には戻れないけれど、うつくしかった過去を振り返る
ことは、未来へ向かうことにつながると信じて作られた ZINE だ。
ページをめくると、画質の粗い、でもきっと輝いていただろう景色が連続する。「思い出」っていうのはこのくらい色が褪せていて不確かなものだと、改めて気づかされる。ぼくらは大なり小なり、たくさんの粒子に包まれて生きている。それがカメラという機械を通して、記録される。その時に、解像度(粒子)はこのくらいでいいのだと思う。最近の若い人たちがデジタルを信用せずにフィルムへ走るのは、その粒子に気づいているからだと思う。
家庭用のプリンタやコンビニのコピー機で印刷すると、どうしても四辺に白い縁が出てしまうのだけれど、ぼくらの思い出は不完全なくらいがちょうどいいのだ。そもそも白い縁が出ないことが完全であると、誰が決めたのか。
みんなの思い出に刻まれた写真は「ノスタルジー」というよりも「愛」、というと大袈裟で、「夢中」という感覚が近いと思った。写真の中の誰もがみんな、何かに夢中で、それは恋人、友人との時間、すべて夢の中のような、幻想的な雰囲気さえ醸し出す。
何かに夢中になっている人たちの写真はいい。何かに夢中になっている人が撮る写真も、またいい。
当時、ぼくらも夢中だった。
現像からあがってきたあの頃の写真が、いまを生きるぼくらの背中をそっと押した。
もっとやれる!楽しもう!と、過去が語りかけてくる。写真にはそういう力があると教えてくれる1冊。ぜひ ZINE に付随する BGM も読み取って聞いてみてほしい。
レビュー by 加藤 淳也
---- 以下 ZINE の詳細とそれぞれの街のこと ----
【 ZINE について 】
僕は、過去より今の時代の方が苦しんでいて、輝いている記憶がないと気づいた。世界中にウイルスが広がり、戦争が起こってる中で国と国とが様々なことで争っている。いつかに輝いてる記憶を作れる時代が来るのか。未来は先に見えない。生きるとは何か愛とは何か人は何を必要としているのか日本の47都道府県も海外も明るい未来へどう生きていくのか。過去を振り返る写真で、人は感覚的に懐かしくポジティブな気持ちになるでは、考えました。
写真は、過去は元に戻れないが、「いつか、みんなの思い出になろう」って人々が希望と夢を祈っていると思います。だからPhoto ZINEを作りたいと思いました。