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よむラジオ耕耕 #20 「そのプロフィールちょっと待った!」


加藤:今週はギャラリーでいろいろ感じてきたことや作家さんとのやり取りの中で生まれた気づきについて話してほしいという声があったので、せっかくなので『ギャラリーで気付いたこと回』にしようと思います。

星野:いいですね。ぼくも聞きたいです。

加藤:パークギャラリーを7年運営しているのですが、毎回いろいろなことに気づかされます。僕は作家じゃないので、気づいたことを自分の中だけに持っていても活かせないので、みなさんにシェアして役立ててほしいなという気持ちがずっとあります。それでラジオ耕耕をはじめましたし。なので「こうした方が良いよね」と日々思うことを、みんなで共有できたらと思います。(作品を)作るひとも、作らないひとも共有していきたい。

作家のプロフィールの重要性


加藤:最近ようやく気づいたんですよ。「作家のプロフィールってめちゃくちゃ大事じゃん!」と。よっぽど作品を見る目を持っていなければ、作品単体を作品として見るということは難しいと思うんです。だから、そのガイドのために美術館はもちろん、うちみたいな小さなギャラリーも作家のプロフィールは紹介する。この作品を作ったのがどういうひとなのか。でも、案外作家はあんまり自分を紹介したがらない。ひとによっては、「大袈裟に語ってもなぁ」と思うひともいるでしょう。

星野:なるほど。

加藤:個展でのプロフィールは特に重要ですが、パークギャラリーはグループ展も多いので、いろいろなひとたちのプロフィールが並列に見える中で、「もっとこうしたほうがこのひとの魅力が伝わるのにな」「もったいないな」と思うようなプロフィールが多くて最近気になってしまうようになりました。ほかのギャラリーに遊びに行ってもそう。もっとこのひとの良いところを紹介で引き出せたらいいのになと思ってしまう。プロフィールって、みんな、なんとなく決めてしまいがちなんだけれど、これを機にみんなで耕していけたらなと思います。星野くんは、PUNIO をやっていて印象としてどうですか。

星野:プロフィールをそもそもちゃんと考えたことなかったですね⋯。言いすぎても、詩的になりすぎても野暮だし。なるべくドライに。でもドライすぎないように。

加藤:ドライにしようとした結果、箇条書きのようになってしまうこともあるよね。ちなみに今から僕が話すことはある特定のひとに向けたダメ出しではないので、安心して聞いてください。自分はできてる、できてないではなくて、少しでも参考になったらうれしいですという基準なので、気軽に聞いてほしいです。

あなたの今のプロフィールは自薦ですか? それとも他薦ですか?


加藤:僕がまず思うに、プロフィールに大きく求められるのは『主観』か『客観』かの2つ。僕は、私はこういうアーティストでこういう活動や作風ですという『主観』のプロフィールと、たとえば美術館・画廊・キュレーターが紹介する『客観』のプロフィール。要するに、自分で書いてしまうと自慢になってしまうけれど、他薦だから伝えられることもある。例えば「優れた感性を持つー」「若き才能でー」とかはさ、自分で書くと恥ずかしいでしょう。

星野:確かに、それは言ってほしいですね。

加藤:なので、まずあなたの今のプロフィールは自薦になっていますか?他薦になっていますか?というのが、ひとつのチェックポイントです。また、他薦の場合でも、誰の視点で書かれているのかが重要で、場所が移り変わるうちにそれを理解していないまま提出してしまうと、ズレが生まれてもったいない。誰が言ってるの?と。例えば、写真や絵の専門家が書いたプロフィール。文章内で使用されている専門用語がある場所に行くと難しくなってしまったり。ギャラリーのひとが書くことも多いんだけれど、気に入ったはいいけれどほかのギャラリーで飾るときは「それでいいの?」となったり。

星野:なるほど。

加藤:あとよくあるのは、「名前、肩書き、生年月日は書こう」ということ。〇〇出身など書くのは一般的だと思うけれど、生まれた年があると世代でひとつのカテゴライズができるから、鑑賞者は安心できるんじゃないかな。意外と重要。見やすくガイドしてあげるっていうのも大きいけれど、同世代が描いてるならわかるなとか、若い子ならすごいなというような共通の価値観というか「バイアス」をコントロールできると思ってる。さらには、その時代の風紀というのもある。たとえば90年代に青春を過ごしてきたひとと、2010年とかのデジタルネイティブのひとでは見え方も違うかもしれない。そう考えていくといろんなことが精査されていくのではないのかな。プロフィールを出したくないひとは、そういうバイアスにとらわれさせたくないという思いもあると思うけれど、そんなにみんな作品からいろいろ読み取れるわけではないから、できるだけ親切に自分のことを伝えてあげられた方がいいのかなと。

実際にプロフィールを添削してみよう


加藤:よりよいプロフィールにするためにどうしたらいいのかなと僕は日々考えています。今回は PUNIO と関係の深い作家さんのひとり、羽鳥さんのプロフィールを添削してみようと思います。これが正解ということが伝えたいわけではなく、経験上の僕なりの提案という感じです。みなさんもこれをもとに参考にしていただければと思います。

羽鳥弘興|Hirooki Hatori
1996年福島県出身。ドイツを拠点に活動。昨年コロナの影響で一時帰国、現在は北千住在住|小学校を卒業後、13歳で韓国の仙和芸術学校に入学。同高校を卒業後、表現の幅を広げるためドイツで路上アーティストとして1年間活動。更に歩みを広げ、ポーランド、オーストリア、トルコ、スペイン、アルバニアなどヨーロッパを中心に約10ヵ国を巡る。2020年、COVID-19の影響で日本に一時帰国。今日までの1年間、ウリカフェ(@uricafecoffee)や中目黒ラウンジ(@nakamegurolounge)でのポートレートイベント、GalleryConceal(@galleryconceal)でグループ展を開催、Brandy Melville Harajukuでのアートイベントに参加する等、コロナ禍においても精力的に活動の幅を広げ続けている。

加藤:はい。これは星野くんが考えたの?

星野:そうですね。彼からヒアリングして文章化しました。

加藤:まず第一印象で『コロナ』の表現が多すぎるよね。「コロナの影響でー」「COVID-19の影響でー」「コロナ禍においても精力的に活動」とか。もうご時世的になくてもいいんじゃないかな。冒頭の西暦と生まれは良いと思います。海外で活動と言われると心の距離が生まれてしまうかもしれないけれど、福島県出身と言われると急に親近感が沸くし、同郷のひとは積極的に観たいなと思うんじゃないかな。世代が近いひとも同様。反応すると思います。

星野:なるほど。

加藤:「ドイツを拠点に活動」これが最初のチェックポイントですね。気になりました。ドイツのどこなんだろう。ベルリンなのか、フランクフルトなのか。ドイツ全域をあちこち旅していたのならこれでいいと思うけれど、ドイツの田舎とベルリンでは吸収しているものも違うと思うし具体的な地名があるとより良いよね。地域を明記することで、もしかしたら「私も行きました」というひともいるかもしれないし、なによりプロフィールから景色が見えてくるようになるよね。海外が拠点というのが彼の作家性を支えているということであれば「日本が拠点」と言いすぎないようもう少し渡航先をローカライズしていくと良いと思います。あとは『一時帰国』しているのか『北千住にもう住んでいる』のか、情報として混ざっているから、どっちなの?となる。情報過多という感じ。つまりプロフィールでは彼の作品のアイデンティティは海外にあるのか、日本にあるのか。少なくとも今回の展示の作品はどちらを主張したいのか、選んだ方がいいかも。となると「韓国での美術学校の体験」「ドイツでの路上表現」とか、グローバルに活動している要素が感じられし、その後の「さらなるヨーロッパでの活動〜」これも彼の世界での行動力が示されているので、海外で活躍しているイメージにするのがよいんじゃないかな。

何を伝えたいのか、大事にしているのかを明確にする


加藤:ただ、彼の海外生活は何を求めてのものだったのかが明記されていないのが気になる。絵描きとして、という要素が見当たらないので作家としての意思がボヤけているかも。いろいろな国に行ってすごいな、ではなくて、海外にアイデンティティを向けるにしても『画家』として作品を描き続けたんだなという方面に焦点が当たるほうが良いと思います。

星野:まさに言う通りです。

加藤:それで2020年に帰国するわけだけれど、その10カ国を何年かけてどういう旅をしたのかが端的にでもわかると、画家としての厚みにつながるかな。と考えると、そもそも『一時帰国』はプロモーションとしては書かなくてもいいのかなという気もするね。『一時帰国』というが事実だとしても、そこにポジティブな印象はあまりないような気がする。日本国内で活動しているという実績は後半に並ぶ各会場の展示名で表現できてるので、ちゃんと凱旋帰国して、日本の、北千住の PUNIO で展示をする。ただし、PUNIO 以外でもちゃんと活動しているよ、という幅広さが伝わればいいのかな。

星野:ですね。

加藤:なのでまとめると、羽鳥さんは基本的にドイツを拠点に活動している絵描きだと。国内にいるときは北千住に住んでいるので PUNIO と縁があった。バックボーンとしては小学校を卒業して、13歳で、韓国の芸術学校を選んで絵を勉強しはじめた、つまりマインドや作家性のグローバリズムも見所、というところを伝えたいね。僕らが日本で普通の中学生活をしている時に、海外でアートの教育を受けているというのは価値を高めると思う。それに高校卒業のあとは『単身』でドイツへ行って路上アーティストとして1年間、絵描きとして活動していたことが伝わる方がいいよね。また、ドイツ以外にもヨーロッパ10カ国以上で活動した。海外で活躍していたけれど、国内でも信用があるというのを事例として紹介して、その着地点として現時点では PUNIO があり、絶大な信頼関係を築いていることを書くべきで、それで個展への概要へとつなげるというのが大事。

あえて書かないことも大事


加藤:あとは、国内での画廊の実績を紹介していると思うんだけれど、具体的な画廊名を挙げてみんなに紹介するのか、しないのかもチェックポイントかな。知らないギャラリーでの実績を並べられても⋯というのは見る側としてはあるので、「都内でも人気のカフェやラウンジで展示を開催」「現代アートの聖地としても名高いギャラリーにて」とか、固有名詞(店名)ではなく、開催した場所の特徴を書くことで、読んでいるひとの「どこやねん」という違和感をなくすのもありかと。

星野:なるほど。細かく書くことで情報過多になってしまうこともあるということですね。

加藤:たくさん活動してますというアピールとして「どこで何をやったか」みんな書きたくなってしまうみたいだけれども、『ポートレートイベント』や『グループ展』って、正直に言うと誰かほかのひとが主導、主宰している場合が多いと思うので作家の実績として弱くない?と思ってしまうんだよね。もちろん全部立派なお店でのちゃんとしたイベントだと思うけれど、作家力を際立たせるために、あえて「ぼかす」ことも大事かも。あくまで例であって「これだけじゃないよ、このひとは」と思わせた方が良い。

星野:実績があるのに、あえて書かない。

加藤:そうそう。もちろんステータスとしてよしあしは見極める必要あり。あとは、あまり自慢げに聞こえないように実績だけ別で略歴として箇条書きにするひともいるかな。でもその羅列で良い印象を受けることはあまりないかな。すごくトゲのある言い方をするけれども、「それで?」「大事なのはそこじゃないよね」となってしまう。そこでできなかったこともきっとあるだろうし、もっと膨らませて未来へ向かっている中で、過去のクレジットは別にそんなにいらないのかなと僕なんかは思ってしまう。限られたスペースで過去の実績を羅列するよりも、いま未来に向かってどうしているのかを書く方が好感持てる。「こういうことがやりたくて日々昇進しています。」という方がいいんじゃないかなと思います。

星野:過去はあくまで過去と。

加藤:過去の略歴書くひと多いし、多いってことをニーズがあるってことなんだろうから僕が言ってることが必ずしも正解ではないと思うのだけれど、パークギャラリーで7年間いろんなグループ展をする中で、たくさんの作家のプロフィールを見てきて、思うことはたくさんあって。でも、そこで「こっちの書きかたの方がよくないですか?」と提案できなかったんだよね。そのひとのパーソナルな問題だし。尊重したいし。でも、PARK GALLERY でアンケートとってみると圧倒的にみんながプロフィールで悩んでいた。なのでこれを機に、この場を借りてお助けさせていただきたく思います。プロフィール、ぜひ直すので、どしどしお待ちしております。

というわけで、羽鳥さんのプロフィールをぼくなりに PUNIO 用に添削してみました。

羽鳥弘興|Hirooki Hatori
1996年、福島県生まれ。独創的な色彩を用いるアーティストでありペインター。13歳の時に韓国のアートスクールへ入学。卒業後、単身渡独。ドイツを拠点に各国のストリートで絵描きとして活動を開始。コロナ禍を機に一時帰国した際に、北千住で PUNIO に出会い初個展『侵触』、原宿. HAKT & Co. にて『侵触 -forest of colors-』を開催し国内外で話題となる。その後、都内のカフェやラウンジでのイベントに参加しながらも新たな色を求めてヨーロッパ、中南米など10カ国を渡り歩く。2023年の帰国後、旅の集大成として再び PUNIO にて個展『波紋』を開催。現在に至る。

星野:加藤さんはいわゆる『プロフィーラー』ですね。プロフィールを導くポジションの。プロフィール、あらためて難しいですよね。自己紹介も同様ですが。

加藤:場合によっては文字数が制限されることもあるしね。その範囲内で何を伝えるのか。大事だと思うし、プロフィールのよしあしで興味を持つ、持たないが現場で左右しているのは事実だと思う。プロフィールはそのひとが何をしたいのか簡潔に伝えることができる重要なコンテンツだと思うので、みんなないがしろにせずに、ぜひより良くしていただきたいです。悩んでいるひとや、これを機に自分も見直したいと思ったひとはぜひメッセージを送ってください。耕耕のリスナーや読者の方のプロフィールなら修正などサービスしますので。

おわり

よむラジオ耕耕スタッフかのちゃんによる文字起こし後記

今回はプロフィールお助け回。
私も日常の中でひとのプロフィールを書く機会があったり、自身においても、日常の些細(ささい)な自己紹介をはじめ、かつては入学や就職活動の際に自己を意識的に「伝える」必要がある場があったりした。おそらくこれを聞いてる全員が、作家さんであってもなくても、同様な経験をお持ちのことと思う。今回はまさに全員が『自身を耕すことができる回』だと感じた。
中でも私が参考になったのは、加藤さんのおっしゃるプロフィールの着眼点としての『自薦 / 他薦の区別』だ。

「他薦の場合でも、誰の主観で書かれているのかが重要で、場所が移り変わるうちにそれを理解していないまま提出してしまうと、ズレが生じちゃう。もったいないかなと思う。」

これには共感したし、ハッと気付かされた。そもそもプロフィールは一面的なものでしかなく、日々更新されるべきであるし、見るひと・見る場所が変わる中で必要とされる情報も異なってくるはず。使い回しをするのはもったいないことだったんだなあとなるほど気付かされた。

プロフィールではないが、同様に日本の邦画のキャッチコピーに首を捻ることがよくある。「全員が泣いた」「誰もが共感する」などである。よく議論されることではあるが、こういうものは、作品を通して生まれる感情や時としての共感であるべきであって、果たしてこれは誰の意見なのだと、もっと言えば作品を通して個人が感じ得る部分を、観る前からよくそんな堂々と言えるよなあと意地悪に思ってしまうのだ。

作家は作品を通して鑑賞者の感情を生じさせ、時として共感も与える。そのための導線としてのプロフィールの重要性は言うまでもない。いやあ、勉強になったなあ。

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