
猫背で小声 season2 | 第18話 | 例の礼
今年1月。
季節は寒く、気持ちは冷めてゆくけれど感受性が高まる日々を過ごしていた。ぼくはいつものように仕事をしている。いつからか仕事をさせてもらえている立場にもなった。
仕事が終わり、家へと帰るため電車に乗る。
いつも乗る電車は同じで、いつも同じ車両に乗る。
疾病からくる几帳面な横顔が車内全体に拡がっている。
車内に入ると時刻はまだ 17:40 。
隙を見て車内に座る。
毎度毎度仕事で疲れているので目を瞑(つむ)るひととき。
現実を忘れるためには必要な時間。
少し息を吐く。
会社でしていた息が浅かったことに気付かされる。
電車は進んだ。
職場のある駅から3駅進んだ。
電車が停まる。
仕事の疲れが取れたわけではないけれど、ふと目を開けてみた。
あるおじいちゃんが車内に入ってきた。
見た目は80代前半。
そのおじいちゃんから弱々しさは感じない。ただ、お年寄りには席を譲るというのがぼくなので、おじいちゃんに席を譲った。おじいちゃんはぼくの方を見て会釈をしてくれた。
さらに2駅進むとぼくの家の最寄りの駅。2駅だけの時間。
ぼくもそのおじいちゃんに会釈をして、その夕刻は終わった。また逢えるかなあ。そんな気持ちがぱんぱんだった。

数日経つ。いつものように仕事はつらく、あのおじいちゃんのことを頭の片隅で考えていた。
仕事を定時に終わらせて、10分後の電車に乗れば、あのおじいちゃんと出逢った電車に乗れる。ダッシュすれば間に合う時間。
「逢いたい」が強かったため、急いで職場の最寄り駅へと向かうとあのおじいちゃんと逢えそうな電車の時刻になった。
イチナナヨンマル。
また逢えるかなあ。
ぼくは席を確保。
電車は進む。
あの駅へと近づく。
電車がぷしゅう、と停まり、ぼくは心臓どきどきだ。
ドアが開いた。
おじいちゃんはやってきた。
相手の方もぼくを覚えててくれていたようで2度目の会釈を交わす。すかさず座っていた席を譲った。
「席あっためておきましたよ」
とは言わないけれど、そのくらいおじいちゃんの喜ぶことがしたかったのだ。攻守交代かのような立つと座るの繰り返し。ぼくはおじいちゃんの顔をまじまじと見れるポジションになった。
80代なのにかなり洒落た人。よく見るとツイード生地のジャケットを着ている。この歳でこんな身なり。ただ単におじいちゃんに興味が湧いたのか、ぼくの何かのセンサーが誤作動したのか、
「お名前なんですか?」
気づいたらおじいちゃんにこんなことを聞いていた。おじいちゃんは目を点にするわけでもなく、右手をツイードのジャケットの胸ポケット辺りをワサワサしはじめた。ぼくの直感として名刺を探しているんじゃないかと思った。
同時にこの年齢で名刺を用意できる人は相当の地位の人なんじゃないかと感じた。
「もしかして社長さんなんじゃね?」という気持ちも同時に湧いた。結局名刺らしきものは見つからず「私の名前はタハラです」と言ってきた。
「近藤です」
相思相愛かもしれない物語がはじまった。
あいうえおの「あ」が始まった、あ・の・日が過ぎ、電車で逢うことも多くなっていった。
日が暮れる時刻。雨も降り出しそうな悲しい景色だ。あかりすら灯らない季節。いつものようにタハラさんが車内に乗ってきた。
手元に傘を2本持って。
いつものように会釈からはじまり、会話もスムーズな間柄になってきた。
「雨降りそうですね」「そうですね」
そんな他愛もない会話が車内に、そして「ふたりに」沁みている。
「近藤さん、この傘使いますか? 事業所にあったので、あげますよ」
「なんと」とを超えて、「ぬわんと!」と思える心遣い。
2人の関係性もここまできたのか、という嬉しさと、タハラさんの優しさ。ここには愛しかない。こんな気を遣えるおじさまになりたいと、憧れが漂う車内。
ありがたいと思う気持ちを「小さな会釈」に込めて、ぼくは最寄り駅に降りた。

家に帰るといつものようにオカンが夕飯の支度をしている。ここ最近、恒例となったタハラさんとの出来事を共有する。
オカンにタハラさんから傘を貰ったことを伝えると、とても驚いていた。
その驚き冷めやらぬ中、名刺の話や事業所の存在のことを話すと、「タハラさんは会社の社長さんなんじゃないか」というぼくとオカンの意見は一致した。
さらにタハラさんの身分に興味が湧いた。いかんよね。
自分の存在に悪寒を覚える夜となった。
また陽は昇る。日が改まる。
ここ最近はタハラさんに逢いたいがために同僚との会話を振り解き 17:40 の電車に乗ることにしている。
玄関開けたらサトウのごはん
3駅乗ったらタハラの時間
こんなふうにリズムが高鳴るほど楽しい出来事なのである。
またタハラさんがやってきた。
会釈から「ぼくら」の時間は始まる。
「タハラさん、仕事って辛くないですか?」
「私は職場に行っちゃえば大丈夫」
「それまでが “いつまで” 経っても辛いです」
「でもプレッシャーのない仕事なので気楽ですよ」
と言っていた。
ここまでくると悟りのようなもので、言っていたと言うより仰っていたという方が正しいのかもしれない。
プレッシャーのない仕事、というワードも正直気になるが。
また違う日にはゴルフが趣味と言っていて、奥様と息子さんと一緒にラウンドを周るそうだ。ゴルフが趣味ということは金持ちだな⋯という気持ちが湧いたけれど、この話で重要なのはこの年齢でもしっかり家族を大事にしていること。人間として素晴らしいタハラさんを崇めた。とは言え崇めても崇めても「ふつうのおじいちゃん感」は抜けずに、ある日我慢ができずにこんなことを聞いた。
「タハラさんって社長さんですか?」
愚問だとは感じていたがどうしても、どうしてもという気持ちが消えずに。
「私は作業員Aです」
完璧な答え。もう攻略法はない。
なくて正解。
ないほうが正解なのである。
多分このような人格者は誰に対してもこういった対応ができると思う。社内で苦しみ、車内で説法、こんなバランスの良い1日はないのかもしれない。
ある日、ぼくが仕事でつらいことがあったとタハラさんに伝えた。タハラさんはこう答えた。
「人生は苦しいことばかりですよ」
「私なんかこれから家に着くまで1時間かかるんですよ」
「近藤さんなんかあと20分もすれば家に着きますよね」
歳を取っても、どんな地位になろうとも苦しみは消えないらしい。
はじめての出逢いからいろいろあったけれど、現在もタハラさんとは車内で顔を合わせる。他の乗客から見ると垢の他人か知り合いか。ふたりが車内で話を始める光景が誇らしくてたまらない。
ある日タハラさんが
「近藤さんは晩酌しますか?」
「近藤さんが降りる駅で知り合いが飲み屋をやっているんです」
ぼくはただ単にタハラさんが話を盛り上げるために切り出した話題かな、と思っていたが、よく考えると飲みに誘われたのかなと鈍感な自分を悔いている。
仕事、仕事の快速で生きてきたタハラさん。
休み、休みの鈍行で生きてきたぼく。
そんないろんな感情が生まれる「ふたりきり」の空間。
どこかでまたこんな風に新たな「ふたりだけ」の空間が生まれることを願って。

文 : 近藤 学 | MANABU KONDO
1980年生まれ。会社員。
キャッチコピーコンペ「宣伝会議賞」2次審査通過者。
オトナシクモノシズカ だが頭の中で考えていることは雄弁である。
雄弁、多弁、早弁、こんな人になりたい。
https://twitter.com/manyabuchan00

絵 : 村田遼太郎 | RYOTARO MURATA
北海道東川町出身。 奈良県の短大を卒業後、地元北海道で本格的に制作活動を開始。これまでに様々な展示に出展。生活にそっと寄り添うような絵を描いていきたいです。
https://www.instagram.com/ryoutaromurata_one
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