猫背で小声 | 第20話 | 明かり灯る
昔、野球をやっていた。
専門学校時代にやっていたがとても下手だった。
打てない、守れない、肩も弱い。
でも得意なのは『バント』だった。
たまに試合に出てバントを成功させ、結果を残したが、試合にはあまり出れなかった。ライトを守る8番バッター。いわゆるへたっぴを意味する『ライパチ』以下の選手だった。
『ライパチ』以下になって思うこと。
「やっぱ試合には出たい。」
そんな『ライパチ』も、今ではこうして文章を書く機会をもらっている。
4番バッターとは言えないが、7番サードみたいな立ち位置。
下手なりに下手なりの生きがいを。
そんな元ライパチくんに拍手を。
ついでに、たむらくんの2番セカンドもよろしくです。
*
引く手あまた。昔はママに手を引かれ、人生の迷路を歩んでいました。
『人生劇場』真っ只中。
日々、真剣に暮らしはじめると、いつもと変わったことが起こります。就活をはじめて少し活動的になったということで、施設のプログラムに支障がない程度にアルバイトをしてみようと思いました。
『ぼく』が『はたらく』といえば思い出されるのが、サイトウさんです。
季節は冬。ちょうど年末を迎えていたので、再度サイトウさんの元で働かせていただくことになりました。自分の中で、「サイトウさんの元で働くのは最後。絶対に就職を決めてやる。」という気持ちが強かったため、最近のトレンド『眉毛が太い女子』のように、チョイ攻め気味の気持ちで勤務することになりました。
サイトウさんとの業務はもう何年も経験していたので、仕事に対しての不安はありませんでした。職場でも余裕ができ、恋をする余裕もありました。ここでは、ホンマさん(仮名)という女性を好きなったのですが、日頃からアクションをかけてもあまり響くものはありませんでした。
職場には、ぼくが3年前のアルバイト開始当初からの知り合いの、シマさん(仮名)という女性がいて、シマさんは、ホンマさんと同僚です。
シマさんは、当時ぼくが『ボーダー柄のティーシャツ』と『カラフルなパンツ』を履いていたのでぼくのことを「ウォーリー」と呼んでくれました。ぼくがホンマさんに対しアクションをかけても返ってくるものがないということも相談していました。
仕事は難なくこなしていて、ホンマさんへの気持ちだけが日々高ぶっていきます。サイトウさんのところで働くのもあとわずか。高ぶる気持ちは正直でしたが、なにかいい思い出を作って終われれば、と思うようになりました。
ある日、ホンマさんの部署で仕事納めの忘年会が開かれることを知りました。もちろんぼくも参加。
シマさんも参加。ホンマさんの席の近くにぼくを座らせてくれるようです。サイトウさんは参加しませんが、この忘年会、会社のイベントには全く興味のない『釣りバカ』のサイトウさんが、ぼくのホンマさんへの気持ちを知って、席の配慮など、裏で動いてくれていたらしいのです。
サイトウさんあたたかい。
サイトウさんあっついよ。
シマさんも参加するので、援軍で身を固めた感じです。
忘年会当日。店に入り、もちろんぼくはホンマさんの前に座り、話をできるようポジショニングしました。忘年会がはじまり、ホンマさんに話しかけるのですが会話は盛り上がらない。ぼくの隣に座るシマさんも話が広がるよう2人に話をするのですが、ホンマさんは『話をしたくない感じ』でもありました。
もう悟った。
ぼくのこと興味ないなと。
ホンマさんは終電でもないのに帰ることに。
これが愛しのホンマさんを見た最後でした。
忘年会は19時からはじまり23時頃までやっていました。ホンマさんが帰ったあと、トイレに行こうとするぼくに、同じテーブルの4人から「よく我慢したねー」と労いの言葉らしきものをかけられました。
ぼくは4時間もの間、トイレに行くのを我慢していました。
なんだか終わったね。
アルバイト最終日、全ての仕事を終えたぼくに、全てを知っているサイトウさんが言葉をかけてくれました。
「近藤くん、なにかいいことあるといいね。」
なにかいいこと。
この言葉は、ぼくにとって重い意味だと感じました。不登校になって、統合失調症になって、学校に行けなくて、働けなくて、恋もできなくて、なにもいいことなかったぼくですが、普段生きていて『なにかいいこと』という、目に見えない、正体は見えないけど心が踊るようなできごとや気持ちが「あきらめず生きていれば」待っているんじゃないかと感じました。
いつもいいことが起こらなくてもいい。
たまに、なにかいいことがあればいいんだ。
サイトウさんからの最後の言葉をそう捉えました。この言葉、今でも大事にしています。
サイトウさんと別れた年明けに、いつも通り施設に行くとこんなお知らせがありました。
就労意欲のある人をハローワークが探しており、
もし企業への実習が終われば内定をもらえるとのこと。
年末まで意欲的にバイトをしていたこともあって、『ぼく』に話が来ました。
ちょうど気持ちも前向きだったぼくは、その企業の実習を受けることになりました。実習期間は1週間。実習に来ていた人は、ぼくの他に2人。東京理科大卒の子と法政大学の子。ぼくは『約中卒』。1人しか内定はもらえません。
この1週間は死に物狂いで働きました。今まで生きていて、はじめて人を蹴散らしてでも内定を貰いたいと思いました。
実習が終わり役員面接。
これが最終面接です。
今までの実習への感想や、これから会社でどういうことをしていきたいか、いろんなことを聞かれました。社長に向かって素直な気持ちで話をし、面接も終盤に向かうころ、急に涙が出てきてしまいました。
今まで生きてきて、病気になった後ろめたさ、仕事をしてこなかった情けなさ、自信のなさ、今までに出逢った人たちへの思い、この実習への思い、これからこの会社でやっていきたいんだ、という気持ちが涙として現れてしまったのです。
役員の方たち
がどう捉えたかはわかりませんが、この面接で自分の気持ちや今までの生き方は、恥ずかしいほど伝わったと思います。
数日後、内定を貰いました。
やっとだ。
いいことあったじゃん。
昔では想像できなかった「なにかいいこと」が。
生きててよかった。
それだけ。
近藤 学 | MANABU KONDO
1980年生まれ。会社員。
キャッチコピーコンペ「宣伝会議賞」2次審査通過者。
オトナシクモノシズカ だが頭の中で考えていることは雄弁である。
雄弁、多弁、早弁、こんな人になりたい。
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