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猫背で小声 | 第11話 | ●●●○

いい思い出のない専門学校。

ぼくは22歳で専門学校に入学し、24歳で卒業しました。
そのまま就職してればよかったんでしょうけど、卒業後に体調を崩していたので、体調が良い日は単発のバイトをして、その日暮らし的なことをしていました。大検予備校時代の楽しさはとっくに消え、目の下にクマが蓄積されていくような日々を送っていました。


すぐ、つまずくね。

はい、つまずきます。


。。。。



堪えることもできなくなってきます。



20代は人生の方向性を決める大事な時期だし、一番頑張らなければいけない時期だと思います。その時期に、布団何枚も被ったような殻にこもる日常は「もったいなかった!」としか言いようがありません。



× × × × 



もしあの時、ずっと働いていたら給料も上がっただろうし、恋もできただろうし、両親を安心させていただろうなと思います。ぼくは『その日暮らし』的ないい加減な考えで、自分の可能性の芽を自分で摘むということをしていました。

今、40代を迎えたぼくの人生は以前と比べると華が咲いていますが、人前で20代のことを話すのはあまり誇れないし、すげぇ躊躇してしまいます。今、まだ給料が安く、実家暮らし、まともな恋愛ができていないのも、20代に頑張らなかったツケがきているんだと思います。

飲み屋で「ママ、ツケといて〜」と軽い気持ちで言えるような感じでもなく、数万円単位の「深いツケ」がきています。今後、深いツケとどう付き合うか、今のぼくと将来のぼくの課題です。こんな課題を突きつけられて、ぼくは疲れ果てて寝てしまいます。



 zzzz 


24歳のある日。

サッカーの女子チームの愛称募集のニュースがありました。ぼくはとっさに

『なでしこジャパン』

と頭に浮かびましたが、どうせ採用されないだろうなと思い応募しませんでした。

結果は...


なでしこジャパン !!

もしかしたら、命名者になっていたかもしれません。
24歳当時のこもりがちな気持ちが、応募するという行動に起こせませんでした。

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もしかしたら

× × × × 

ではなく

◎◎◎◎

こんな日々になったのかもしれません。


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近藤 学 |  MANABU KONDO
1980年生まれ。会社員。
キャッチコピーコンペ「宣伝会議賞」2次審査通過者。
オトナシクモノシズカ だが頭の中で考えていることは雄弁である。
雄弁、多弁、早弁、こんな人になりたい。
https://twitter.com/manyabuchan00

人生の半分以上を『自分磨き』に費やした、近藤さんへの質問や応援メッセージを受け付けています。匿名も可能ですのでもしよろしければ以下のフォームから気軽に投稿ください。

今回も最後まで読んでくれてありがとうございます!


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