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猫背で小声 | 第17話 | 愚人が踊る


あいつがいない

ここにはいない
どうでもいいやつがここにいる

ああ帰ってきてくれ
愛しのあいつ
もし帰ってきてくれたなら
どうでもいいやつを消し去ってくれ

あいつの名前はなんという
あいつの名前はテトリスの棒

便利で優しい細めのあいつ
太めで愛しい細めのあいつ


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前回ここに書いた『サイトウさんとのアルバイト』は、期間満了で辞めました。
次に何をしようかと考えた時に、自分の病気のことに対し少し向き合いたいなと感じました。

『統合失調症』

今まで考えているようで考えていなかった題材だと思ったからです。

この病気には『治る』という概念はなく、治ったとしても一生『薬』を飲まなきゃいけない病気なので、付き合い方を学びたいと思いました。メンタルの病気は薬で治る一方、自分の生活している環境を良くすることで治ることがあります。その環境を探していました。



ある日、テレビでメンタル系のニュースがあり『認知行動療法』という、自分の病気のクセや捉え方を学ぶことで病気が治っていくプログラムがあると聞きました。その時ぼくは、なにもすることがなかったので、パソコンで<認知行動療法>と<東京>というワードを検索してみました。

ある施設がヒットしました。

東京の『リワーク施設』。




<リワーク施設>とは、仕事などでメンタルの病気になってしまったひとたちが、気持ちや体調を整えるためにプログラムを行う施設のことです。

「こんな施設もあるんだな」と思いながら、気持ちが冷めないうちに施設見学の申し込みをしました。季節でいうと…

あまちゃんが放送していた夏でした。

施設見学の日、とても暑い夏だったと記憶しています。

見学の待ち合わせの時間に間に合うように20分位前に駅に着きましたが、方向音痴のぼくは施設の周りをグルグルとし、施設の中に入れたのは3分前。気持ちが空回りしないか心配でした。

施設の中に入ると他の見学者が自信なさげに椅子に座っていました。


「ぼくと一緒だ!」


椅子に座りアンケートに答えたのですが、その中に<病名>という項目がありました。ふとその項目を眺め、一瞬ではありますが『統合失調症』と書かず『うつ病』と嘘を書こうとしました。やはり自分の病気に後ろめたさがあり、今までの人生に自信がなかったからです。でも「この施設で自分を変えてやるんだ」という気持ちが強かったため、『統合失調症』と改め、その施設に通所することを決めました。前とは違うんだ、なにか起きるんじゃないか、という自分への期待が、湧いていました。

施設に通っているのは、いろんな職業の最前線で働いている人たちばかりでしたが、働きすぎて心が疲れてしまった人たちでした。

国内最大級の本屋の責任者や、外資系のコンサル、SE、本の編集者、保育士、官僚など、ここに集まるひとたちだけでひとつの街が作れるのではと想像してしまう職業だらけでした。

そんな人たちを前に、およそ中卒のぼくは「かなわないよ」という気持ちも湧きましたが、この人たちとここで対等に接することができれば『今後の自信につながる』と思い、臆することなく話しかけるようにしていきました。

ある意味、『中卒魂』でしょうか。




初日。とても緊張している中、日経新聞の記事を20分位で要約し、その要約した内容をみんなの前で発表するというプログラムがありました。いざプログラムに入ると記事もまとめられないし、みんなの前で発表するという経験が乏しかったため、なにを言っているか分からない状況。しかも一緒のチームにいた人はドイツ語で要約を発表するというウルトラ C 的なプレゼンをしていたので、多分この施設では無理かな、という気持ちが湧きました。


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ですが、自分的国家プロジェクトである『近藤学改造計画』を企てていたぼくは、なんとか堪え、そのプログラムを終えました。

少しでいいから、自分を変えたい、自分を変えたい、という気持ちを強く持っていました。

しばらく通ううちに、プログラムの最中にぶっこみたいと思うようになりました。ある日のプログラム終了後、みんなの前で利用者が感想を述べる時間があり、ぼくが指名されました。ぶっこみたい=場の雰囲気をガラッと変えるようなことがしたかったため、感想の最後にぼくはあることをしました。

『モノマネ』です。

掛布さんのモノマネ。

施設内には30名ほどの利用者がいました。

「非常に〜松井くんはですね〜」

施設内は大爆笑に包まれました。

小学校の時、みんなの人気者だったぼくでしたが、あるできごとにより、ぼくは自分の殻に閉じこもりはじめました。その30年分の鬱憤というか、引きこもっていても、せめて楽しいことをしたいという笑いへの憧れがここで一気に弾けたんです。

ああ、ぼくはほんとうはおもしろい人だったんだな、と、新しい自分を発見できたような瞬間でした。




掛布さんの一件があってから、ぼくは施設の人気者になりました。
みんなからは『まなぶ』をもじった『ぶーちゃん』と呼ばれるようになり、発表があるたびに「こいつまたなにかしてくれるんじゃね」と、好意的な目で見られるようになりました。

なんか幸せでした。
やっと自分を好きになれました。

施設の職員たちからはこっぴどく叱られましたが。

『近藤学改造計画』

マニフェストは続きます。




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近藤 学 |  MANABU KONDO
1980年生まれ。会社員。
キャッチコピーコンペ「宣伝会議賞」2次審査通過者。
オトナシクモノシズカ だが頭の中で考えていることは雄弁である。
雄弁、多弁、早弁、こんな人になりたい。
https://twitter.com/manyabuchan00
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