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\ 3回表 / 続 草ライブハウス 草アイドルヲタク


ライブハウスでパンクを聴くのは良いぞと言っていた僕だが、ライブハウスで観てたのはパンクやハードコアなどのうるさい音楽だけではなかった。


多感な10代前半、モーニング娘。が世間を賑わせていた。


実家では「2階でいいともの増刊号見るわ。」とか言っておきながら、14インチのテレビでモー娘。の冠番組『ハローモーニング』を観ていた。

世代的には後藤真希とか吉澤ひとみと同い年の僕だったが、アイドルを聴くのが(というか聴いてると思われてるのが)恥ずかしいと思っていたから、10代の頃は、16和音の着メロでこっそり松浦亜弥を聴くのが限界だった _


さて、本格的にアイドルをハマったのは2011年。『ももいろクローバー』からだ。周囲が「ももクロやべぇ」と言い出し、僕も聴きだした。

最初に買ったのは『ミライボウル』。サビで転調して、スカコア要素まで入ってる。そこで歌ってる女の子の歌声が突き刺さった。そのパートを歌ってる子は百田夏菜子という女の子で、ももクロのリーダーをやってるらしい、という程度の情報だった。そうしているうちにももクロはいつのまにかに Z が付いていて、『バトルアンドロマンス』というアルバムを出していた。そのアルバムを聴き始めたらもう夢中だった。ゴイステの『さくらの唄』以来の衝撃。自ずと、ライブに行きたいという感情が生まれた。

人気が急上昇してるももクロのチケットをどうにか手に入れ友人とライブに行った。心の中では「サイリウムとかいるの?」「モッシュとかどうなる?」みたいな不安に駆られ、行き慣れてるはずのライブハウスが違う場所に感じられた。

ライブが始まると、アイドル特有のコールだとか、口上だとかが入り乱れた。そうなれば長い物に巻かれろスタイル。どうにかぐちゃぐちゃになりながらもどうにかなる。当時のももクロは「全力!汗!」みたいなのを前面に押し出していた。色々な感情のぶつかり合いを感じながら、そのまま身の回りの物が赤く染まり(推し色)ズブズブとアイドルの沼にハマって行くことになる。当時のももクロは兎に角チケットが取りづらいので有名だったが、チケットの争奪戦には銀杏 BOYZ の頃から慣れていたので、行きたいと思ったライブのチケットは毎回どうにか手に入れていた(違法転売には手を出してないよ)。

今まで音楽はライブハウスで観るものだったのが、ホールになり、スタジアムになってきていた。応援するアイドルがどんどん豆粒みたいに小さく見えてくると、現場から足を運ぶのをしれっと辞めていた。

その後、でんぱ組、私立恵比寿中学、チームしゃちほこ、妄想キャリブレーション、BiS、ゆるめるモ!、BiSH と順々に好きになり、サイリウムを振ったり、ヲタ芸打ったり、チェキを撮ったりと結局一通りアイドルヲタクとしての遊びをしては辞めてを繰り返していた。


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映画のモテキで「弱っている時に聴くアイドルソングは麻薬。」なんて事も言ってたけれども、アイドルに元気をもらってた人間だった。


日本独自の『きらびやかだけれども日の当たりにくいサブカルの極み』みたいなヲタク文化。応援してるんだかされてるんだか分からない感覚に陥るけれど、頭のネジを吹っ飛ばせる人の方が楽しめる世界だなと感じた所で、今回のお話を〆めたいと思います(写真が少ないのはご勘弁を)。




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2番セカンド・たむらはやと
1985年生まれ。学生時代はドッグトレーナーを志したが紆余曲折し、今は牛の革を染めたり鞣したり売ったりして生計を立てる。
雑学好き、器用貧乏。
右投右打、学生時代は2番セカンド。
草野球でのポジションはセンター、ショート、ピッチャー。
神奈川県南足柄の耕作放棄地にて大豆を作る「DAYZ.」力仕事担当。
https://www.instagram.com/hayatot8


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