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汽水域 #05 | 2024.8.25 午前 0:51 ー 阿部朋未

今井さん、こちらこそお返事遅くなってしまいすみません⋯。
とはいえ、今井さんのペースで大丈夫ですよ。書けなくても全然問題ないですし、書いてくださるだけでもありがたいので、間とか余白であったりを大事にできたらと思います。

今井さんの言葉を聞いて、自分の曖昧だった気持ちがはっきりしていくような感覚がしています。「実家がある」ってだけで地元に住んでいて、外には出たいけれどじゃあどこに行きたいのか。県外に出たいのはもちろんなのですが、どこに行きたいのか、本当に東京でいいのか、僅かに揺らぐ気持ちもあります。確かに学生時代には「東京の方が絶対良い」なんて強く思っていましたし、それ相応のハングリーさを持ち合わせていたかもしれません。ですが、大人になるにつれて東京が少し苦手になっていた自分もいました。目が回りそうになるほどの人の多さであったり、道行く人がみなお洒落に着飾っているように見えて、四六時中装わないとこの街では生きていけないのかと思ってしまったり。

地元が嫌で飛び出した末に、一昨年から昨年にかけて一時滞在していた京都はとても居心地が良かったです。京都に来たことでようやく深呼吸もできました。それでも、今の自分がここに定住してもまた息が詰まってしまうんじゃないか、本当にこのままここに居て良いのかと再び迷う自分の姿が少し先の未来に見えてしまいました。結局京都から地元に戻ってしまったのも、そんな理由があったからでした。

どの選択肢にもピンと来ない気持ちも、よくわかります。自分がどうなりたいのか、どう生きたいのか、紐解いてひとつずつ確かめてみないと行きたい方向が見える場所まで辿り着けないのかもしれません。ふらりと辿り着いた先で根を張る決断ができるのも理想ではあるけれど。本当、えいや!!って決められたら良いんですけどね。

今井さんとお祖母様のお話も、将来「自分もこうなるんだろうな」と簡単に想像がついてしまいました。やっぱり心当たりというか、思い当たる節が多すぎて。

中学生の頃、祖母からひどいことを言われました。それ、実の家族に言うか?と思うほどの。以後、なるべく距離を置くようになりました。今井さんの仰る通り、多分亡くなったとしてもそれは帳消しにはならないことでしょう。しかし両親が共働きなこともあり、一緒に過ごす時間も長かったので小さい頃は祖母のことがそれなりに好きだったとは思います。願わくば、記憶の中にあるそのままの祖母でいてほしかった。いつか祖母が亡くなる時、対峙するそのふたつの思い出の狭間で揺さぶられるんだと思います。今はまだ、祖母のことは許せていません。

私と祖母は良くも悪くも、とても似ているとしばしば周囲の人間から言われます。容姿も性格も。だから、自分が年老いた時に、あの時私を傷つけた祖母のようになってしまうんじゃないかとの恐怖心をずっと抱いています。違うよ、大丈夫だよ、と誰かに言ってほしいけれど、そう簡単には予感が拭えなくて苦しいです。祖母はよく「血のつながり」を強調しますが、私にとっては祖母との関係は現在においては「鎖」でしかありません。少しでも祖母から離れたいがために、冷静になって祖母との関係を見直したいがために、私は地元から出たいのだと思っています。

私が今井さんへ最後に便りを書いてから、いろんなことがありました。特に大きかったのは、高校時代からお世話になっていた方が急逝されたこと。一時の入院だと聞かされていたので、あまりに突然のことでした。

幸いか、旦那さんが普段からカメラをどこにでも持ち歩く方だったので、亡くなられた奥さんの写真はたくさん残っていました。葬儀会館に展示された幾多もの写真を見て、旦那さんを含め、残された側である参列者は涙は止まらないけれど、みんな優しい顔をしていました。私も過去に撮らせていただいたことはあったものの、おそらく両手に数える程度しか撮れてなくて、あれ、私が写真撮っている意味ってなんだっけ?と立ち止まってしまいました。決して自己満足だけで撮っているわけではないけれど、それを誰かに伝えないと、手渡さないと意味を成さなくて、果たしてそれができていただろうか。奥さんは「そんなことないよ」と笑うかもしれないけれど、私にはできていなかったような気がしてとても後悔しました。

カメラを手にしてから長いこと経つので、ありがたいことに知人友人からは「写真を撮る人」と大体認識されています。撮られるのが苦手な人もいるので容易くは言えないですが、もう少し相手を頼っても良かったのかな、撮らせてほしいとお願いしても良かったのかなと、今回のことやその近辺にあった出来事を振り返りながら思いました。亡くなった人はもう撮れないし、会いたい人に会えるって改めて考えると奇跡みたいなことですからね。そういう意味では残された人達のためにも写真は存在するのだと気づきました。四十九日が過ぎたら、前に撮影させていただいたご夫妻の写真を持って旦那さんに会いに行くつもりです。

写真、まだまとまっていなくてすみません。テーマの根幹を掴めそうな気配はしているのですが、なかなか掴めなくて。でも着実に根幹へ近づいている感覚はしています。それは今回の展示だけでなく、今後の人生においても大切なものが見えてくるような、今までぼんやりしていたり合わなかったピントを少しずつ合わせていく時間なのかもしれません。

阿部朋未

阿部朋未(アベトモミ)
1994年宮城県石巻市生まれ。
尚美ミュージックカレッジ専門学校在学中にカメラを持ち始め、主にロックバンドやシンガーソングライターのライブ撮影を行う。同時期に写真店のワークショップで手にした"写ルンです"がきっかけで始めた、35mm・120mm フィルムを用いた日常のスナップ撮影をライフワークとしている。2019年には地元で開催された『Reborn Art Festival 2019』に「Ammy」名義として作品『1/143,701』を、2018年と2022年に宮城県塩竈市で開催された『塩竃フォトフェスティバル』に SGMA 写真部の一員として写真作品を発表している。2023年3月、PARK GALLERY にて個展『ゆるやかな走馬灯』を開催。
https://www.instagram.com/tm_amks
https://twitter.com/abtm08

阿部朋未 × 今井さつき
写真展『汽水域』開催
2024年10月23日(水)~ 11月3日(日)

PARK GALLERY では、10月23日(水)より、写真家の阿部朋未と今井さつきを招いて、写真展『汽水域』を開催します。

汽水域とは淡水と海水の交じり合うところ。悠然とした河口のイメージもあれば、時間の流れや出会い、循環を感じる言葉でもあります。

今回の展示では、故郷を拠点にしながら写真家として各地を行き来してきたふたりが、それぞれの暮らしの中で見つけた「視点」を、東京という場所で重ね合います。日々抱えてる思いや感情が写真となって混じりあう場所は、まさに汽水域。それは停滞しているように見えて、またそれぞれの行方に向かっていくための場です。ゆらゆらとたゆたうような写真を眺めながら、ふたりが抱える痛みや、居場所を感じてみてください。

阿部朋未 × 今井さつき
写真展「汽水域」
2024年10月23日(水)~ 11月3日(日)

PARK GALLERY(東京)
東京都千代田区外神田3-5-20

営業時間
13:00-20:00(水〜土)
12:00-19:00(日)

入場無料 | 月火定休

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