boa viagem #008 『義務と呼ぶ通過儀式』by 写真家・新多正典
マラカトゥを演奏する人たちは、カンドンブレーという宗教を信仰しています。
そもそもその宗教の信仰こそが本道で、信仰行為として彼らは頻繁に教会に籠り、密室での儀式を行います。
その儀式の中でアフリカの祖先の言語を歌にし、太鼓を鳴らす。
それら一連の儀式から流れ出てくるものを彼らは音楽として捉えていないかもしれないけど、僕のような門外漢にとっても、また多くの音楽好きにとっても琴線に触れるリズムを奏でています。
マラカトゥは原理的にカンドンブレーを信仰する彼らが、僕たちに向かってマイルドに、ややポップに音楽化したものと捉えてもらっていいと思います。
場所も教会の中から路上へ。
こうやって密室の儀式がカーニバルという大衆に向かう音楽に姿を変え、僕たちの前に現れます。
“宗教行為として頻繁に教会に籠り”と先述しましたが、一回一回目的は異なり、コアな信仰者のみで深夜にひっそりと行われる場もあります。
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ここから、僕が参加した昨日の儀式について。
毎度カーニバル期間直前の日曜日に行われるのが定例で、まさしくカーニバルの開催に向けての儀式になります。
非常にオープンで、遠隔地からこの時期に来る仲間も参加し、写真の撮影も許されます。
儀式は休憩も入れて10時間前後。
ひたすらに歌い踊りを繰り返すとてもストイックな場です。
街の全ての人がこの儀式に参加するわけではなく、浮かれた格好でプレ・カーニバルの喧騒へ出かけていく人もいれば相変わらず飲んだくれてるオヤジもいる。
そういう人たちと距離を置き密室に籠る信仰者たちは、ステレオタイプのブラジル人とはまるで真逆の、真面目で硬派で、熱く見える、だからこそ僕も敬意を持つに至ったように思います。
写真の撮影も許されたのですが、後半はストップがかかりました。
生贄の山羊と鶏の首を掻っ切り、その生き血をカーニバルで使用する楽器に染み渡らせる場面。
首ってこうやって切って、引き千切るんだ…と。
あの空間だとすんなりと淡々と受け入れながら眺めていました。
四年前まではその場面は僕には見えない端で行われていたのですが、今回は部屋のど真ん中で行われたので少しずつ儀式もマイナーチェンジをしているのかもしれません。
殺した山羊と鶏の胴体は調理室に運ばれ、その肉を「まかない」として、休憩と終了後に食べる、これが儀式のひと通りのあらましになります。
この儀式をオブリガサォン(=義務)と呼び、楽しいカーニバルに向かう手前の、やらねばならない通過儀式として重く捉えられているのですが、これを乗り越えると自然と気合いが入っていきます。
僕自身もこれを機に日本人的な自分が抜けていき、この厳しい環境にほぼほぼカスタマイズ完了状態になりました。
つづく。
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