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猫背で小声 | 第12話 | 降社
さて、前回までぐうたらな時間を送ってしまっていたぼく。なでしこジャパンの命名は『ごっつぁんゴール』とはいかず、クロスバー直撃の惜しいシュートとなりました。しかし「社会へ出ないでこんなことばかりしていちゃいけない」と思い、26歳、やっとのことで就職活動をはじめました。
まず地元のハローワークへ行き、専任のキャリアアドバイザーを付けることで就活に本腰を入れはじめました。何度かハローワークへ足を運び、アドバイザーと相談をして、何社かに書類を送付しました。当時、ぼくの履歴書には学歴や職歴にこそブランクはありましたが、『26歳』『ひきこもり脱出』というくたびれかけ寸前のゴリゴリの元気が履歴書から溢れ出ていたのでしょう。数ヶ月で内定は貰えました。
内定先はアパレルの商品管理という仕事でした。当時からオシャレは好きだったので希望を持っての入社でした。
お客さんから商品の注文が入り、その注文票通りに品物を揃えて送付するというのが一連の仕事の流れでした。最初のうちは仕事をこなせていましたが、次のステップに入ると『仕事の内容が覚えられない』という問題が出てきました。
『教えられたことを覚える』
というあたり前のことができなかったのです。
メモをとっても覚えられないのです。
統合失調症の症状には、記憶力が乏しいという症状があります。
病気を隠しての入社だったため、『うまく覚えられない』という症状を周囲に明かさないまま業務を続けました。「教えたのにできない」ということで上司からもかなり叱責され、会社での居場所がどんどんなくなってしまいました。
病気のことを上司に開示すれば状況は変わったのかもしれませんが、あの時の上司を見るかぎり、障がいに対して寛容な人ではなかったなと思うし、理解してくれる会社でもなかったと感じています。障がいがバレたら何かしらのペナルティーはあるだろうし、自分も障がいがバレることに対し毎日ビビリながら仕事をしていました。
結局、病気を明かすことも黙って続けることもできず、入社してから4ヶ月でこの会社を辞めました。働くって辛いなと思いましたし、障がいをオープンにして働けたらどんなに楽だったろうなと思っていました。障がいを持っていてもできることはあるし、何かしら社会へ貢献できるだろうし、貢献することで、その人の中での『自信』や『将来への希望』につながると思うかんですよね。
自信という言葉は、世の中で使われまくられていて嫌いですが、『自信を持つ』ということは、
『自分自身を好きになるための目に見えない物体』
を抱くことだとぼくは捉えています。
その後、職場を変えたら何かが変わるかなと思い転職しました。
もちろん障がいの事は明かさないまま。
やっぱりダメでした。
またすぐ辞めました。
「自分が悪い」「障がいを持っている自分が悪いんだ」と、自分ばかりを責めたまま、また日雇いの仕事に戻りました。
いつになっても『自信』を抱きしめられない、心の痩せたぼくがいます。
近藤 学 | MANABU KONDO
1980年生まれ。会社員。
キャッチコピーコンペ「宣伝会議賞」2次審査通過者。
オトナシクモノシズカ だが頭の中で考えていることは雄弁である。
雄弁、多弁、早弁、こんな人になりたい。
https://twitter.com/manyabuchan00
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