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\ 6回裏 草ドッグトレーナー /
突然ですが、
『犬派』ですか?『猫派』ですか?
犬は常に人間に甘えてくるし、猫は自由気ままだし迷いますよね〜。
とはいいつつ僕は生まれてからずっと『犬派』です。
ちょっと心が荒んだ時とか寄り添ってくれる所とかは、人間よりも「察する」力があるのかな、なんて思ったりもします。
さて、このエッセイのいちばん下の方の自己紹介文の所に『ドッグトレーナーを志したが』と書いてみたけど、その頃から15年ほど経ったので今回
『草』として自分の中で消化しようかなと思います。
*
ドッグトレーナーを目指した理由は、僕の母の足が不自由だったこと、そして僕自身が動物と触れ合うのが好きだったという事から。
最初は『介助犬トレーナー』を目指そうと思い、高校卒業後、専門学校に入学した。授業は座学半分、実技半分という感じ。座学は眠いのはまあ仕方ないけれど、実技は楽しかった。
ドッグトレーナーの実技なのだから、授業では基本的にしつけのやり方や技の教え方、障害物走(アジリティって言うんだよ)のトレーニング、麻薬捜査犬みたいなトレーニングなど様々。
トレーニングをする犬は学校の近所で飼われている子を預かってトレーニングをするという形だった。「近所で飼われている子を預かって」という所で、対、お客様対応の勉強もするという感じ。
担当してた犬は一度に5頭ほど。犬種や性格を考慮しながら様々な犬と触れ合う機会があった。毎日来る子も居れば、週一回しか会わない子もいる。
その子の家まで送り迎えを散歩がてらしたり、空き時間に遊んだりと、結構忙しい毎日だった。そこが楽しかったんだけどね。
学校に通っているうちに家庭犬のしつけやトレーニングの方に興味が湧き、インターンとして行った近所のホームセンターの一角にある大きなペットショップにそのまま就職してしまった。ドッグランがあったり、都内有数のペットフードの品揃えで棚卸しが大変だったのを覚えている。
ペットショップだったので <生体を売る> っていう今ちょっと問題視されたりもしてる事もしていた。
よく、「売れ残ったら殺される」なんて事も聞くかもしれないけれど、僕が働いていた所は売れ残っても一緒に生活し易い様にトレーニングをして値段を落としてでも飼い主さんを探していた。「命を売るなんてけしからん!」って言われたらぐうの音も出ませんけどね。
当時はなるべく幸せな犬が増えれば良いな、なんて思って働いてましたとさ。
その後、そのホームセンターは土地の再開発で閉店になり、その後再就職したペットホテルではあまりの激務(朝5時から夜10時までを60日連続とか)により、体調を崩してしまい挫折。
そのあとは、数年バンドマン(とか言ってるだけのフリーター)生活をやってから、今の革職人になりました。
個人的には犬を飼ってる訳では無いけれど、職場の上司がダックスフンド2頭飼い始めたり、会社によく来てくれているお客さんが僕の通ってた学校に犬を預ける様になったり、犬スタなるものが出来たりと、ちょっと犬との縁が戻ってきた気がします。
犬派なんて言いながらこの記事書いてたら iPhone に『四本足のお友達』なんてのが出てきた程度に、『猫』にもうつつを抜かしている僕でした。
お会いしたら犬の話、猫の話、動物の話なんでもしましょう !!
U^ェ^U
2番セカンド・たむらはやと
1985年生まれ。学生時代はドッグトレーナーを志したが紆余曲折し、今は牛の革を染めたり鞣したり売ったりして生計を立てる。
雑学好き、器用貧乏。
右投右打、学生時代は2番セカンド。
草野球でのポジションはセンター、ショート、ピッチャー。
神奈川県南足柄の耕作放棄地にて大豆を作る「DAYZ.」力仕事担当。
https://www.instagram.com/hayatot8
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