『もしもし、一番星』 #02 — 君は君の歌を — by 阿部朋未
色々と縁あって、12月から地元の新聞社が発行している朝刊に週1で小さなコラムを書いている。こうやってインターネットを介して全国どこにいても読める文に対して、地方紙かつ紙媒体だけあり読者層は実際にその土地に住んでいる方々が主となるので、読まれているとしたらごくピンポイントな地域と年齢層だろう。故にコラムのテーマは自然と地元にまつわるエピソードや思い出話が中心になっていくのだが、いかんせん私という人間には”ほのぼのエピソード”みたいなものが一切なく、連載初回から自己紹介の代わりに「幼少期におもちゃの車に乗って小さな滑り台を逆走した」話を綴っている。この一文だけでは何を言っているのか全くもって意味不明なのだが、れっきとした事実であり両親からいつまでも語り継がれている鉄板エピソードなので、もし機会があれば新聞誌面を、もしくは本人から直接その内容を聞いてみてほしい。「三つ子の魂百まで」とはよく言ったものだけど、まさにそのことわざを体現するが如くシュールにすくすくとそのまま育ってしまった。滑り台を逆走した幼子は、次の春がやって来たら三十路を迎える。運転免許は昨年どうにか取れたものの、ハンドルを握ってはいけない人間なのは誰が見ても明白で、車がないと到底生きていけないような片田舎でこんな人間が生活できているのが不思議でならない。
エッセイとコラム、ここで書いているものがある意味一人で完結するような日記的に綴るものだとして、新聞で書くにあたっては主観のみで完結してしまうのではなく、外へ向けて、新聞の向こう側にいる読者の存在をより意識しなければならないと思う。文章だけでなく写真などの作品もそうで、自己満足で作っているならばそれでもいいのかもしれないが、例えば SNS などを介して人様の目に触れようとするならば、その時点で自分と作品の間に有する矢印はその間柄を飛び越えて外へ向かいどこまでも伸びていくのだ。しかも、「私はこう思う」で終わるのではなく「それで、あなたはどう思う?」とか「あなたへ向けてこう呼びかけているよ」などと、親近感を湧かせる意味合いとしてもこちら側から手を伸ばして読者や鑑賞者を置いてけぼりにしない姿勢がかなり重要になってくるだろう。
それまでの私は一貫して「こういう人間もいる」といったスタンスで、外へ向ける意識は保っていたものの、形式を問わずひとり言でもあり独白に近い形式の作品を作り続けていた。有難いことにこうやって自由に書かせてもらっているが、そこへはやはり誠実さや優しさをいつまでも忘れないことが大前提であり、それらを忘れてしまったが最後、自我を失った横柄なわがままさは誰も彼も傷つけてしまうだろうし、そもそも自分自身も含めて誰も幸せにならない。なにより独りよがりではあまりに味気なく寂しい。
"自由にやること" は我を忘れて好き勝手やることではない。私たちが言葉を交わす時、主語・述語・助動詞など一見複雑なパーツの組み合わせを違和感なく瞬時に組み立て、相手へしっかりと意味が通じるような文を作るように、どの事柄にも少なからず基本的な土台やルール、社会的なモラルが存在する。それらを把握して理解した上で「じゃあ自分はどのように表現しようか」と、ここでようやく初めてスタートラインに立てるのだ。この組み合わせはOKで、この一線を越えたらアウト。基本には則っているけれどこのやり方では要領が良くないし、ルールは守っているものの、この出来上がりは品がない。そうやって何遍も何遍も繰り返して自分の手と頭で善悪と解を知っていき、使える知識と手段を増やしていく。しかも時代の流れによって意味や良し悪しも変わってくるので、インプットやアップデートもきっと死ぬまで終わりがないが、インプットや制作双方ともに、長い時間を経て血肉にしてきたものは自分だけの財産には変わりはないのだ。
専門学校時代の恩師が常々言っていた「"型破り" は型を知っているからこそ行うことができ、知らないと"型無し"になる」という言葉の意味とその果てしない深さを、卒業してから10年近く経った今ようやく身に染みて理解しつつある。"自由でないこと" が何たるものなのか自分で理解していない限り" 自由にやること" は困難であり、理解しないまま振る舞えば無作為に誰かを不快にさせたり迷惑をかけてしまうリスクだってある。例えどんなに下手くそだろうが私は私の表現をやるしかないし、あなたはあなたの歌を歌うしかない。時としてその根底には責任と覚悟、そしてカルマが存在するとして。
この note も新聞も、綴った文章の向こう側には読んでくれている人がいる。双方ともに読者層があまりに広義で、どんな人が読んでくれているのかは正確には把握しきれないのが事実だ。どちらも内容の全てを納得したり共感してほしいとは思わないけれど、読んでくれる人、ひいては理解しようとしてくれる人のことを信じたいと思っているし、なんならその人へ届くように書きたい。
文章のみならず作る作品においてもテーマを定める時、届けたい目標があまりに広範囲であったりアバウトだと、内容が薄味だったりぼんやりしてしまうことがしばしばある。テーマの定め方は人それぞれだが、私の場合は手紙を書くように特定の相手へ向けて届けることをイメージすると作りたいものや流れが明確になりやすく、内容もより強固なものになる。そういった意味では冒頭のコラムは、先述の「こういう人間もいる」ような新聞発行圏内にいる市井の住民としてのサンプル的立ち位置だけでなく、実のところは当時つまらないを顔をして鬱屈とした毎日を過ごしていた学生時代の自分へ向けて書いている。結局は自分自身に向けて書いているのでは独りよがりと大して変わらないだろう、と思うかもしれない。その通りとも言えるし、15年近く前の自分と現在の自分は同一人物であるが、中身はもはや別人となっている。別にそれを公共の発行物である新聞の紙面上で行うなんて、と思うかもしれない。それでもお声がけくださった以上、私が書ける内容は何なのかを問うた時、それは当時の自分を介して、境遇の近い誰かとその周囲の人間へ向けて少しでも手を差し出せるような、ごく小さなヒントであるといえよう。流行りのアイドルもわからなければタピオカも飲めなかった、キャピキャピと陽の当たる世界で花ざかりの青春を送ったわけでは決してない人間が地方の片田舎に居てもいいのだと伝えたいし、居てもいいのだと。パソコンや携帯の画面越しではなくて、私自身も本心は家族以外の誰かに直接肯定されたかったんだろう。当時に味方や友達が居たなら、何か少しは変わっていたのだろうか。寂しさは永久凍土のように心の奥底に歯が立たないほど未だに固く残っていて、手をかざしてみるとやはり冷たいままだった。高校時代に学習塾の向かいにあるファミマで買った、無印良品の大きな消しゴムは10年以上掛かってもうすぐ使い切ろうとしている。
3月に初めての個展を開催した際に様々な方が来訪した中、会場である PARK GALLERY 加藤さんの紹介により、私の人生の原点であり初恋でもある、くるりのベストアルバム『TOWER OF MUSIC LOVER』のジャケット写真を撮影した写真家・MOTOKO さんが来てくださった。展示作品を観ていただいたのち、有難いことにいくつもの言葉を頂いた。それらを自分なりに紐解いていくと、私がこれからも生きていけるように頑張ることは、”自分と似たような誰かが世の中で生きていけるための道標になる” ことに繋がる可能性があると気づいた。それはたとえ地元でもどこに居ようと変わらないはずだ。今すぐじゃなくてもいいし、なんなら気負うと疲れてしまうから、軽くスキップするくらいでちょうどいい。なかなかにハードでスリリングな歩くモデルケースだし、絶対人にはオススメしたくないしできないけれど、今こうやって生きていることがちょっとだけ、ほんのちょっとだけ楽しくなってきたなと内心ようやく思えている。
阿部朋未
『もしもし、一番星』 TRACK 02
チャットモンチー『majority blues』