窓際から今日も #04 | そして夜が明ける | 阿部朋未
屋上があって良かった、と今でも心底思う。
行くあてのない東京の街で唯一心が安らげる場所だった。
上京して初めて住んだ学生寮は学校のパンフレットに載っていたもので、数少ない他の選択肢の中で何を思ったのか特に内覧せずにそこに決めてしまった。当然、当日引っ越すまで一度も行ったことのない街。同じ学校に通う人しかいないのにここぞとばかりに人見知りを究めてしまった私には友達作りは困難で、それは卒業して寮を出るまで変わらなかった。不慣れな生活において人を頼ることや誰かに本心を打ち明けることができず、それらはストレスとして生活リズムを乱し悪化させ、徐々に精神を蝕んでいった。結論としては心身を壊したことで2年という短い東京での生活を終わらせる羽目になってしまったが、サードプレイスがなければもっと早く生活が打ち切られていたに違いない。
住んでいた部屋は備え付けのクローゼット、ベッド、机、冷蔵庫が置いてある時点でスペースはあまり残っておらず、言ってしまえば「寝るだけの空間」にしか過ぎなかった。個人の空間は保たれているにせよ、そんな手狭な部屋では息が詰まってしまいそうな瞬間が時々あり、その度に深夜の屋上へ忍び込んだ。普段は住民が洗濯物を干すスペースで夜になれば施錠されているかと思えば案外そうでもなく、下の廊下で風呂上がりの誰かが小さな声で会話している隙にいつものようになるべく足音や物音を立てずに入り込めばこっちのものだった。深夜1時の屋上は誰もおらず、360度見渡せば街の夜景が広がっている。どこからともなく首都高を走る車のエンジン音が微かに聞こえてきては、一日の勤めを終えた真っ暗な回送電車は音もなく走り去っていく。寝静まった団地には明かりが灯り続け、私が知る由もない幾多もの生活が確かに存在していることを証明している。小さくとも誰かの生活の営みを感じられるだけで、なんだか安心した気持ちになった。
とはいえ、それだけでは眠気はまだ遠くあり、心許なさも否めない。そんな夜は決まって塗装が剥げかけた手持ちの iPod から眠れない夜の為に用意した自作のプレイリストを流し、屋上に寝そべりながら音楽を聴いた。視界には建物も電線も一切ない純度100%の夜空が広がっていて、暗さに目が慣れてくる頃には異なった明るさで光る星たちが見えている景色を満たした。流れ星は効果音もなく流れるし、小さな光と光の間をゆっくりと動くさらに小さな光はどうやら人工衛星らしいことも知った。そのプレイリストの1曲目はクラムボンの『Folklore』で、歌詞はもちろんのこと曲を聴きながら思い浮かべた景色や空気感が夜の屋上そのものであり、今思うと曲の世界観を追体験するのと同時に不安でいたいけな心情の BGM として寄り添ってほしいが為に聴いていたのだと思う。都会だけれど都心から離れた街で無機質にも似た夜風に当たりながらこの曲を聴く時間が、寂しくもありそれでいて割と好きだった。そうやって気の遠くなるほど長い夜を何度も何度も乗り越えた。
あの屋上にも入れなくなって10年近くの時が流れた2023年2月、私は友達と東京ガーデンシアターにいた。
この日のライブを以ってクラムボンが一旦ライブ活動を休止するとのことで、意を決して専門学校時代の友達を誘って観に来たのだった。私にとっては今でも交流のある数少ない友達であり、上京して最初にできた友達の一人が彼女だった。休み時間に一緒にコンビニに行ったり、欠席した同級生の代理で授業を手伝ってもらったり、恋バナできゃっきゃと盛り上がったりもした。明るくユーモアのある彼女の周りには常に人が絶えることはなかったが、そんな周りにいた同級生達も今ではどこで何をやっているかほとんどわからない。それはある意味私だってそう思われているかもしれないが。クラムボンの楽曲が館内に流れるショッピングモールのレストランで和定食を食べながら、あの頃の休み時間の続きのようにお互いの最近を話す。彼女が「酔った〇〇が夜中に LINE をくれるんだけど、あまりに頻繁すぎてめんどくさくて放置してる」と同級生の近況報告を困った顔で笑いながら伝えてくれるのが嬉しくもあり、ほんの少し羨ましくもあった。みんな、今もどこかで元気にやっているんだろうと思うけれど、"あの頃" に手が届かなくなるほどどうやら遠くまで来てしまったらしい。お世話になった学科の先生もこの3月で定年退職してしまうようだった。
ライブが始まり、新旧織り交ぜたセットリストで会場は盛り上がっていく。コロナ禍以降初めての声出し可能なライブともあり、バンドもお客さんもその喜びはひとしおだった。私は私で演奏される曲に個人的な思い出を時々思い出しては、久々の生の音に身を委ねた。そしてアンコール、アコギを持ったミトさんが曲をかき鳴らし始める。はっとなった。『Folklore』のリアレンジバージョンである『Re-Folklore』だった。基本的なコード進行も曲調も同じなのだが、前者が真夜中の翳りのある情景を歌っているとしたら、後者は例えるならばその夜が明けた後の青空が広がる景色を歌っているようにも思う。このバージョンも好きで、快晴の空の下であの屋上で洗濯物を干しながらよく聴いていた。曲のサビ後にはミトさんがコーラスで「ラララ」を歌う部分があり、その部分をお客さんみんなでシンガロングして、そこへボーカルの郁子さんがさらに伸びやかな歌声を重ねる光景がお馴染みだった。曲がブレイクして、最小限のアコギの音と歌声だけが空間に響き渡り、やっといつもの一体感が戻ってきたのを実感する。ただ、この日のアウトロは少し違っていて、いわゆるコーラス・シンガロング部分のメロディーは原曲と同じであるのに対し、後ろで鳴らされるコードは暗いマイナー調であった原曲とは異なりメジャー調、つまりは明るい曲調で展開されていた。そこには翳りは一切なく、あの"強い台風の去っていった夜”が明け、突き抜けるほどの青空が広がっているよう。その瞬間、暗く長い夜がようやく明けた気持ちになった。一人で屋上に忍び込み、曲を聴きながらじっと星空を眺めていたあの夜が。
思い返せば学校に入学したばかりの頃、地元のライブハウスにクラムボンがツアーで初めて来てくれて、慣れない学校と東京での生活に疲弊した中で帰省を兼ねて観に行った。幸運にも郁子さんとお話する機会があり、クラムボンに憧れてこの学校に入ったことやメンバーの担任を務めていた先生が学科の先生として今お世話になっていることを話し、「東京に出てきたけれど学校の友達があまりできなくて ……」と打ち明けた悩みに郁子さんは真摯に寄り添ってくださった。あれから楽器は手放して歌は歌えなくなり、思い描いていた未来通りに進むことは結局叶わなかった。けれど、今もこうやってライブを観ることができて、しかもその隣には友達がいる。時には思い出に負けてしまいそうになりながらも長い年月を生き、その光景の中にいることができただけでも十分すぎるほど幸せだった。
音楽を聴いて思い出す記憶は必ずしも全てが楽しく幸せなものではない。けれども、その記憶をさらに塗り替えてくれるのも音楽であり、音楽と一緒に生きていくというのはこういうことなんだろう。Spotify を開いてはシャッフル機能で曲が流れてくる度、ふとあの屋上の匂いと夜風が恋しくなって後ろ髪を引かれかける。それでもきっと振り返って浸ることは二度となく、私は今の空を眺めている。
阿部朋未
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