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誰も私を生きてはくれないし、誰かの人生を生きることはできない話
Bonjour!
みなさんこんにちは!pariskeitoです!
時々自分があの人だったら良かったのに、、、なんて人間なら誰しもが一度は思ったことがあると思います。
ですが人生とはどれだけ『私として生まれてきて良かった』と思えるかどうかだと私は思っていて、それに対して自己否定が入ってしまうともう人生終わってしまったような感情になるわけです。
自分のことをいかに認めてあげられるかで生きる楽しさも変わります。
完璧な理想の自分になれば自分のことを認めてあげれらるようになるのではありません。本来、本当に自分が心の底から幸せを感じる状態に自分をもってきてあげることで自分を簡単に認められるようになります。
それはお金があれば解決できることはありません。
お金が必要になってくる場合もあると思いますが、お金が問題でなくても自分のことを認めてあげられる自分になれます。
自己認証へのステップ
自分のことを認められる人間になりたいと思うまでにはマズローの5段階欲求の状態で今自分がどこにいるのかを知る必要があります。
わからない方はこちらのサイトをどうぞご覧ください。
仕事で関わりたいと思ったり、サロンメンバーとしてぴったりだと思う人は最終段階にある自己実現の欲求を満たしたい人だと改めて思いました。
ある程度自分の人生を確立して生きていて、すでに満たされているけれどまだもう少し自分の中のワクワクを実現してみたいという方が周りにいる人には多いなと感じます。
私は常にワクワクしていたいタイプなのですが、それを母に伝えると毎日ワクワクしている人なんていないよと言われるのです。(笑)同じ地球という場所で生活し、同じ人間として生まれてきて、親子だったとしても見えている世界はびっくりするほど違うということなのですが何を普通と思うのか、何を見たいと思うのか。ただそれだけの違いなのです。
人は自分が見たいと思ったものしか残念ながら見ることができません。
欲求も全てそうで、自分が欲しいと思ったものに本気で手を伸ばしたものしか手に入らないのです。
大体の人が自己実現の欲求を満たすことがなく人生を終えると言われていますがそれでもせっかく1回きりの人生なら自分のやりたいことを全てやり遂げる人生でありたいと思いませんか?
私はそういう人でありたいし、そういう人だけが周りにいると思っています。
誰かを羨ましいと思う時間はもったいない
他人との比較に走ってしまう人は第4段階:承認欲求(尊重欲求)の時点で止まってしまっているということです。
なんだか自分が情けないとき、何者でもないとき、誰も相手にしてくれないとき、自分のことを大切にしてくれる人がいないとき。そんなときに強く誰かに認められたいと思うことが生きていたらあります。
私も22歳くらいのときはまさにそんな状態で寂しい孤独な人間だったように思います。自分のこともよくわからない。自分が好きなものもよくわからない。
何か本当に好きなものや大切にしたいものに出会ったときに人は変わるように思います。それが恋人や子供、恩師、何がきっかけになるかはわかりませんが誰にでも人生のターニングポイントのようなものがあるのだと思います。
誰かを恨んだり、妬んだりする時間はとても悲しく何の生産性も持たないため、そんな自分から卒業できるようにしていけるようにすれば次のステップへ進めます。
歳を重ねるにつれていかに他人と比べずに生きるのか。どうやって自分に集中して生きるのかが大切なのかを知ります。
人それぞれ手に入れているものは違いますし、生きてる環境も全く違いますが自分と似たような人と比べて生きていても何も意味はないですし、『他人との比較』をどのタイミングでやめられるのかが自分の人生を生きられるかが大きなポイントとなります。
他人と比較するということは自分の人生を歩まずに誰かの人生に入り込もうとして自分の人生を放棄するに等しいほど悲しいことです。
いい意味での比較やポジティブな比較ならいいのですが、ただ自分の気分を下げてしまう比較は今すぐやめよう!と決めること。決め続けていけばやがて比べることはしなくなります。
もっと自分の人生を楽しめたらいいですよね!