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まずはそのよくわからない入り口に入ってみること
Bonjour!
みなさんこんにちは!pariskeitoです!
味のわからないものを食べること、入ったことのない世界に入ってみること、イメージとしてはそんな感じでそういうちょっとドキドキすることを定期的にすることが私たちの人生には時々必要ということ。
本当は刺激が欲しい人間
自分は現実世界では無理だけど、少し激しめのゲームをしてみたり映画を観てみたり、本当はやってみたいけど出来ない気持ちを人は何かで発散しているような気がする。
素直に生きることすら何か恥ずかしく、うまく表現できなくなってしまった大人たちはもう間接的な形でしか自分を表現できなくなってしまっているのかもしれない。
欲しいけど欲しいと言えない。我慢する気持ちが働いて、もう自分というものがどこへ行ってしまったのかわからないそんな気分?
大人になるための電車があるとしたなら、その電車に乗ってしまってもう引き返せないような状態になってしまっている大人たちが日本には沢山いる。もう大人だから。親だから。ママだから。子供がいるから。と言って自分のしたいことや言いたいことをなかったことにするのは気持ちがいいことだろうか?幸せなことだろうか?
私は多分、世の中でいう大人というものになっていないんだと思う。
できるだけ我慢はしない。をモットーに生きているからだ。でもそれでも人を幸せにすることはできる。自分が自分であることで周りを幸せにできるならそれはそれでいいんじゃないかって。
環境や状況が変わったとしても、自分が既婚者になっても、ママになっても、文句を言わずに後悔せずに、自分が自分で良かったって言える人間になれればそれが一番いい。
刺激なんてなくても生きていけるしって言えるならそれはそれで素晴らしいことだ。
ただまずはある程度は自分の欲求のままに生きていくのも悪くないって思う。
自分は自分である
今書いてる私は、世界にたった一人しかいない私であってこの考え方ももしかしたら世界に1つだけの考え方で誰も共感なんてしてくれないんじゃないかと思いながら書くときもある。
でも人ってそういうもので考え方ってそういうもので日本はやたらに共感を求めたがり、多数派がいいとされててそっちに流れていく傾向があるけど自分の人生くらいは自分で決めようよ、自己啓発本読み漁ってる場合じゃないよって言いたくなるときが時々ある。
少数派でもよくない?
みんなと同じじゃなくてもよくない?
それで嫌われるならそれはそれでおしまいでいいんだよ。
そんな私は昔から日本では変わり者扱いだったし、パリに行ってから今の彼に出会ってそれってチャームポイントで素敵なことなんだってことに気付いた。変わってるって誉め言葉なんだって。(笑)
パリに行けば変わってる人なんて星の数ほどいるからむしろ自分がまともに思えてくる。世界は広い。日本の視点だけを取り入れて悩むことはもう止めよう。
新しい世界や広い世界に目を向けて自分が生きやすいように生きることが大切。
今日はそんな一歩を踏み出してみてもいいかもよ?というエッセイでした。