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雑記 #1

恋愛のことって日々語り尽くしてるじゃないですか。だから何の関係もない、誰も興味がないような話を書きます。

この世で1番好きな場所は私以外誰もいない実家のリビングだ。両親は共働きで、小中高と学校を休んだ日は家に誰もいなかった。低気圧が苦手だから休んだ日は雨が降っていることが多くて、誰もいないのに朝方のような青灰色をしたリビングは、世の時間感覚から取り残されたように思えて好きだった。

一人きりのリビングは自由だ。普段なら怒られるからという理由で控えていることも勝手にやった。それは例えば真夏ほど暑くない朝にシャワーを浴びることだったり、スピーカーのボリュームを中ぐらいにして音楽を流すことだったり、集中して見るほど興味は無いYouTubeの動画を垂れ流して食事をすることだったりした。

妙なところが面倒くさがりだから、一人の時だけ昼ごはんを台所で食べることもよくあった。
ラップのかかった昼食のプレートを冷蔵庫から出して、プチトマトだけ食べてからレンジに入れる。数分待ってレンジから取り出し、台所で食べて、食べ終えた食器はそのまま流しにおいてすぐ洗う。行儀はさておき効率がいい。水に浸け置きした食器は1日放置すると排水溝レベルで細菌が繁殖するらしいし。 食べたものはすぐ洗えという言い付けは納得がいったからちゃんと守っていた。

面倒くさがりというか、1人で食べるのにわざわざお盆に食器を載せてダイニングに運ぶということが虚しかったのかもしれない。座ったって目の前には誰もいないんだから。

私が学校を休む頻度が増えたあたりから、食事のプレートにかかっていたラップはシリコン製の蓋に変わった。ラップが勿体ないと愚痴っていた母親の顔が思い浮かぶ。シリコン製の蓋が被せられた料理は冷たかったけど確かにそこに温もりはあった。

団体行動が苦手で会いたくない人が周りに多くて、どうでもいいが口癖でずっと反抗期みたいだった10代の私に母は何を思っていただろうか。

薄暗いリビングを見るとつい当時に戻ったような気分になる。雨の音を聞きながらソファーにもたれかかった。 壁に掛けてある17年前の家族旅行の時の写真のクラフトには白い埃が被っていて、写真の中で笑っている幼い自分と赤ちゃんのような妹と若い両親を見て、なんだか急に死にたくなった。薄いカーテン越しにベランダを眺めると、緑のカーテンになればと思って母が植えていたアサガオがようやく咲き始めていた。植物ですら暑すぎる夏を嫌悪して秋に取り残されそうなんだから、この部屋でつかの間時間を忘れて過ごしたっていい。薄暗い部屋の中で目を閉じた。でも目を閉じる前に念の為にスマホのアラームをかけてしまった自分はそろそろこの空間にいられないのかもしれない。言いようのない寂しさが込み上げた。この感情もいつかきっと忘れてしまう、そのことへの寂しさだった。

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