自由の刑に処せられて
人は自由の刑に処せられている、サルトル先生はそんなことを仰られたが最近とことんそれを痛感している。
明日仕事を辞めることも自由、住むところも自由、何を食べるかも自由、結婚するのも自由(これは個人の力の範囲を超えているところもあるか)
特に東京に住んでいると痛感する。あまりに繋がりの希薄な世界で自分が原子のようにふらふらと漂っている感じ。ふらふ〜ら。
自由の拡大を目指してきた歴史なのに、獲得したそのあまりの自由に耐えられず苦悶する人。人生は難しい。多くの人が本来は自由であるはずなのに、〇〇があるから死なない、やめられない、自由になれないなどと、虚構の〇〇を作り上げる。これは別に悪いことではなく、必要なのだ、その〇〇が。でなければ、あまりの自由に絶望してしまう。だって死ぬのも自由なんだもの(自由意志があるとするならば)。
今自分が毎日残業(ブルシットジョブだ)を頑張っているのも、きっと自分を縛ってくれるものが必要だからだろう。悔しいなぁ、住む家もシェアハウスにして極力移動の自由を奪う荷重なものを持たないようにしてるのに!
とまぁ、自由なんてないのかもと思った仕事帰りの今日であった。
私は仕事できっと疲れている。
また会社で会おう。パーマ似合っとるよ。
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