ちぶり通信13_ヨットで隠岐から本土まで
前回の話の続きとなる。
旅人を拾った私はその旅人と一緒にヨットで隠岐から本土まで向かうこととなった。
出発は早朝3時。ヨットが停まっている港で旅人と落ち合う。
「おー!待っとったで!本当に来たな!」
真っ黒に日焼けした顔が完全に夜に溶け込んでいるため、真っ白な歯はニカッと笑うときに闇夜に浮かんでいるようだった。
昨日までは旅人、今となっては私の命を握っている方だ。「本日はよろしくお願いします。」。丁重にご挨拶をした。
私が船に乗り込むと、船はゆっくり、ゆっくりと進みだした。湾内は微風のため、帆を張りつつも、エンジンも使って沖まで向かう。
夜の湾内は案外色とりどりだった。
イカ漁の灯りや、漁師が養殖のために設置しているブイのライト、灯台、闇夜でも湾の入り口を示すために防波堤に設置している赤と緑のライト。
沖に出ると東風が徐々に強くなりぐんぐんヨットが進み出した。ここでヨットのエンジンを切って、完全に風だけの走行になる。エンジンを切ると、急に静寂が訪れ、周りは波の音と、海鳥の鳴き声くらいになる。
下の写真は出発から2時間ほどの写真。5時ごろ。もうこの時間には東の空が赤らんでくる。
早寝遅起きのロングスリーパーの私にとっては久しぶりに見た夜明けであった。
隠岐の島々が神々しく映る。
「隠岐は絵の島、花の島」。しげさ節の歌詞通りである。
ヨットの進みが遅く2時間経っても知夫里島から大して離れていないことに不安を感じていたが、その不安は帆を更に大きいものに変えてから払拭された。帆が大きくなった分、かなりスピードアップした。
風を受けてぐんぐん進む。一方、風に更に強く煽られ、かなり船体が揺れ出した。
ツキノワグマ選手、船酔いでダウン。しばらく眠る。
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船酔いから復活すると外は真っ青な空。すっかり夜は明けていた。
「あんまり寝るから朝ごはんを食べないかと思ったで!」
白い歯を輝かせながら、玄米とアオサの味噌汁を出してくれた。
な、なんと私が船酔いでダウンしている間に島根県が大分近くなっているではないか!
隠岐汽船とすれ違った。手を振ったけど誰か見てくれただろうか。向こうにはこっちが小さすぎて見えなかったかもしれない。
私も人間である。便意を催すこともある。トイレに行きたい旨を伝えると、「これを使え!」とバケツをいただいた。
あとは推して知るべしである。
途中、ヨットの上で三線を弾くなど楽しんでいたツキノワグマ選手であるが、また船酔いに。
2度目のダウン。しばらく眠る。
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七類港着いてるやん!!!!!
船酔いから覚めたら、なんか、もう、七類港に着いていた。寝て、飯食って、クソして、寝てたら、なんか、もう、七類港に着いていた。
極楽とんぼの私とは対照的に、旅人は夜通しヨットを操縦していたらしい。約10時間の旅だったが6時間くらい寝てた気がする。
「53時間ぶっ通して走行したこともあるからな、こんなん大したことないで!」
なんてタフなんだ。私より2回り以上年上とは思えない体力である。
その後旅人とは七類港でお別れした。
「岡山に来たら連絡してな!」(旅人)
「隠岐とか福岡に来たら連絡してください!」(ツキ)
世界は不思議なものでまたどっかでこの旅人と再会するような気がしている。
観光協会に入ってきた1本の電話が繋いだ出会いであるが、偶然性に身を任せることの面白さを再認識させてくれた。
誰がヨットで隠岐から本土に行くと予想していただろうか(そして私がこんなに船の揺れに弱いことを予想していただろうか)。
加えて、ヨットで本土まで向かう10時間も非常に有意義な時間であった。決して船酔いでひたすらダウンしていただけではない。スマホも電波が入らないので、横たわりながらも朦朧と考え事をしていた。
思えば、昨年の10月までの青年海外協力隊の合格が決まるまでの期間は、人生に何も風が吹いていない凪の時期だったように思う。海にぷかりと浮かんでいる存在だった。しかし、合格が決まった瞬間から、どこからか風が吹いてきて、その風に任せていたら、知夫里島に来ていたし、そしてその風が私をベトナムに運んでくれるのだろう。
風が吹かなくても焦らないこと
風が吹いたら受け止めること
合理的になりすぎないこと(偶然性を受け入れること)
旅人とのヨット旅が教えてくれた教訓であった。
もしかしたら20年後とかにヨットを買うかもしれない。Who knows?
ではまた!