ちぶり通信14_多くの友達が島に遊びに来てくれた
7月、旧友が知夫里島に遊びに来てくれた。大学時代の友達、フランス留学時代に出会ったオランダ人の牧師、個性派ぞろいの訪問者との思い出を少し書き記したいと思う。
酔っ払いの大学の寮の後輩O
まず最初に訪問してきたのは大学・大学院時代のオンボロ寮の後輩、Oである。
Oはすこぶる酒癖が悪い。学生寮でも酔っぱらっては、建物を破壊する、火を焚く、大声を出す、裸になる、糞尿をそこらに巻き散らかす、など動物と化していた。彼の泥酔時の奇行は枚挙にいとまがない。
例えば、一緒に飲んでいたら突如姿が消え、近所を捜索したら、罠にかかった鶴の如く、ゴミ捨て場のネットに絡まって抜け出せずもがいていたことがある。他にも、朝目が覚めるとOの枕元に糞があり、「誰がこんな下品ないたずらを!」と憤怒していたら、自分が酔って糞をしていただけだった、という話もある。あげだすとキリがない。そして汚い。わが母寮の品位に関わる。
話はさらに脱線するが、私のいた寮は明治時代からある歴史深い寮である。ただ、一風変わった文化があり寮生は本来の名前を奪われ、動物名で呼ばれる。たとえば、「蜂」「わしみみずく」「ふなむし」「スッポン」などなど。ちなみに、私は「ツキノワグマ」と呼ばれていた。Oは「サイコショッカー」という動物ですらない名前で呼ばれていた。
Oはその酒癖の悪さを島でも遺憾なく発揮した。焼酎の一升瓶をグイっと飲み干し、歌えや踊れやの大騒ぎ。しまいに、シェアハウス内に嘔吐物をまき散らし、私のシェアメイトが貸した毛布まで嘔吐物まみれにしていた。翌朝しっかり廊下を清掃してくれ、毛布も洗濯してくれたが、毛布は外に干されたまま雨ざらしになっていた。なんと詰めの甘いことか。憎めないいいやつなのではあるが。
彼が本土に帰る日は少し安堵した。
オランダ人C
次なる訪問者は、フランス留学時代に知り合ったオランダ人Cである。年齢は56歳。私の父くらいの年齢である。
Cとは奇妙な出会いをしてから今まで関係性が続いている。私がフランス留学初日にパリの安宿に滞在した夜のこと。数件バーをはしごし気分よく宿に帰ってくると、なんと入り口のカギを紛失していた。これは野宿になるかもしれないと冷や汗をかいていたところ、1階の窓の奥にうっすら紳士がロビーで雑誌を読んているのが見えた。窓をドンドンと叩き、開けてくれー!と助けを乞うと、「You deserve it(お前はそれにふさわしい=自業自得だ)」とジョークを入れつつも、フロントのドアを開けてくれた。そこから、今まで縁が繋がっており、オランダやオーストリア、タイで集合して遊んだりと仲を深めている。そして今回の知夫里島である。
オランダ→東京→広島→知夫里島のルートで島にやってきて、知夫には6日間滞在した。何もない知夫に6日間も滞在して飽きないか心配だったが、初の日本(アジアもタイに続いて2度目の訪問)ということもあり、身の回りに存在する全てが不思議に満ちているらしい。私からしてみれば、ただ寝て起きて飯食ってるだけの生活をしているように見えたが、「非常にfantasticでthrillingでunforgettableな経験」だったらしい。
一点困ったことがあったとすれば、静かな集落内でずっと大声で歌っていたことだった。私の住む集落は、知夫の7つ集落のなかでも指折りの静かな集落である。そんな閑静な集落で、かつてオランダでインディーズデビューしたこともある彼がずっと大声で洋楽を歌っていた。東洋の島国のさらに辺境の夏の離島で、解き放たれた非日常感が彼をそうさせたのだろう。ただ、いつも静かな集落中に響き渡る外国人の歌声は住民である我々も非日常すぎる経験だった。
一度、夕方ごろに彼が「夕日を見るために集落内を散策してくる」といって散歩に出かけた。その間、私は夕飯の支度を進めていたのだが、キッチンの窓から彼が歌っているのが聞こえた。家の外にでると彼の姿は見えない。集落のどこかを散歩しているのだろう。だた姿は見えないが歌だけは聞こえる。洗濯物を干していた隣の奥さんもどこからか聞こえる外国人の歌声を不思議そうに聞いていた。”静かな集落であんまり大声を出さないように!!!”とメールを送ると、「へ~~い!料理は終わったのか~い!」とハイテンションで急に姿を現すC。まさかこんな西洋の大男が集落内にいるとは思わず絶句している、洗濯物を干していた隣の奥さんと偶然通りかかった犬の散歩をしているご近所さん。連れている犬は異国の匂いに反応したのか吠えまくっている。カオスだった。カオスが夕日に染まっていた。
彼らの平穏な生活に水を差してしまったかもしれないと大いに反省した。
彼が本土に帰る日は涙半分、安堵も半分であった。
大学のサークル後輩Gと彼女
最後に来島したのは大学時代のサークルの後輩Gである。2個下のもっとも仲の良い後輩である。今は福岡の鉄道会社で働いており、若手のホープと目されている(らしい)。島旅には最近できた彼女もいっしょに連れてきた。
彼は美味しいご飯への執着が強い。一度、彼と室戸岬まで車旅をしたことがある。室戸岬の周辺はかなりの田舎で飲食店もなく、仕方なしにスーパーで赤飯を買って食べた際は、「なんで高知まで来て美味しい海産物ではなく、赤飯を食べなければならないのだ!」と完全に拗ねてしまった。初めて大人が拗ねる瞬間を目撃した。彼の食に対するこだわり(執着)は強い。彼とはサークルで顔を合わせるだけではなく、一緒に筋トレも行う仲であった。週に2,3度、大学のジムに行き汗を流す。激しいトレーニングを行った後は、大学に隣接する定食屋でビールと大盛りの定食を注文し、筋トレの成果を台無しにしていた。筋トレ後に飲む冷え切ったビールは一度知ったら辞められない悪魔的美味しさがある。結局我々は腹を凹ますために始めた筋トレで逆に太ってしまった。
他にも、社会勉強と称して就活生のふりをして企業の学生説明会やインターンにこっそり参加したこともあった。一番前の席に座って堂々と質問する我々に、企業側も優秀な学生が来たものだと感心したに違いない。思えば、ビックモーターの説明会にも行った気がする。あの不祥事が発覚する3年前の話である。私の隣で、御社が第一志望です!と言っていた就活生たちは元気にやっているだろうか。
今回の旅では、知夫や海士町のご飯やさんに行き、一緒に美味しい食事を囲んだ。昔話に花が咲いた。私としても嬉しい来訪であり、彼も満足してくれただろう。2泊3日という短い期間で、知夫・海士・西ノ島と島前3島を全部回っており、計画性もあっぱれである。どこかの大学寮の後輩とは雲泥の差がある。
最後に
私は8月1日にすでに離島している。今、知夫に来ても私はいないが、赤壁、赤ハゲ山をはじめとする大絶景、島の人情はいつでもあなたを待っている。
ぜひ、皆さん、知夫にお越しください。ではでは。