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隣り合わせの片想い

秋の午後、校舎の影が長く伸びる中、○○はただ静かにグラウンドを眺めていた。


そこにはいつもと変わらぬ光景が広がっている。野球部の練習風景だ。


白いユニフォームが土埃を巻き上げ、声を張り上げる部員たち。


新体制となった秋季大会で早々に敗退してしまい、次の大会でその雪辱を果たすべく必死に打ち込んでいる。


その中に、彼女の姿もあった。


「久保さん…」


○○は思わずその名前をつぶやいた。



彼が思いを寄せる相手、久保史緒里。


学年でも一、二を争う美人で、成績も優秀、誰に対しても公平で優しい。


○○にとって彼女は、まさに「完璧」の一言だったが、その完璧さがゆえに、彼女はどこか遠い存在でもあった。



ここ最近、学校にはある噂が広がっていた。


史緒里は野球部のキャプテンと付き合っているのではないか、というものだ。


彼女が野球部のマネージャーであることも、噂を強めている原因だった。


キャプテンはクラスでも人気が高く、リーダーシップがあり、誰もが「お似合いだ」と口を揃えるような人物だった。


○○は深くため息をついた。


「俺なんか、どうせ…」


そう思うと、胸が締めつけられるように痛んだ。


彼女に近づける理由も、彼女に想いを伝える勇気も、○○には何もない。


告白しても、振られる結末が見えているようで、わずかに残っていた希望の灯火さえ消えそうだった。


そんな時、不意に背後から声がかかる。


「また、ため息ついてるの?」



振り向くと、そこには蓮加が立っていた。


彼女は○○の幼馴染で、小さい頃からずっと一緒に育ってきた仲だ。


気心が知れた友人であり、○○が困った時にはいつも側にいてくれる存在でもあった。


「そんな落ち込んでちゃ、良いことないよ?」

蓮加は小さな笑みを浮かべながらも、どこか真剣な目をしていた。


○○は目を逸らし、苦笑いを浮かべる。


「いや、別に落ち込んでるわけじゃない。ただ、ちょっと考え事をしてただけで…」


「考え事って、史緒里のこと?」


○○は図星を突かれ、思わず言葉を失った。


「やっぱりね」と蓮加は軽く肩をすくめたが、その表情には少し複雑な感情が混じっているように見えた。


「そんなんじゃ、何も進まないよ」


○○は黙り込んでしまった。彼女に何を言えばいいのか、自分でもわからない。


蓮加はためらうことなく続けた。


「確かに噂は聞くよ。キャプテンと付き合ってるんじゃないかって。でも、そんなの本当かどうかわからないでしょ?噂に振り回されてるだけじゃ、○○の気持ちは伝わらないままじゃん」


「でも…」


○○は言葉を探しながら、再びグラウンドに視線を戻した。


「俺なんかが、久保さんに告白したって、振られるのがオチだよ。そんな運命なんだって」


「そんなの、やってみないと分からないじゃない」


蓮加は少しきつめの口調で言った。


○○の中で小さく膨らんでいた諦めの気持ちを、彼女は静かに、しかし力強く押し戻していくようだった。


「振られるのが怖くて何もしないでいるより、自分の気持ちをちゃんと伝えた方がいいじゃん。伝えずに終わっちゃったら、それこそ一生後悔するかもしれないんだから」


蓮加の言葉は、まっすぐ○○の心に刺さった。


彼女の正直さと率直な意見は、いつだって彼の支えだった。



「それにね」と蓮加はさらに言葉を続ける。


「運命っていうのは、決められた物語なんかじゃなくて、愛する強さの名前のことなんだよ」


○○は、思わず目を見張った。


蓮加は真剣な表情で、彼の目をまっすぐ見つめていた。


心の奥に抱えた秘めた感情を、ひとしずくも零さず隠しながら。


「どんな運命だって、自分の手で変えられるの。大切なのは、どれだけ強くその人を想うか。それを諦めるか、戦うかは、○○の決めること」


彼女の言葉は、○○の心に深く響いた。


「だから、諦めないで」と蓮加は穏やかに微笑んだ。



「ちゃんと自分の気持ちを伝えるのが大事だよ。伝えられなくなって、想いを口にすることさえできなくなっちゃった子をよく知ってるから…」


ほんの一瞬だけ、蓮加の表情に寂しげな影が差した。


○○はその影に気づくことなく、彼女の言葉を心の奥でかみしめていた。


何かが静かに動き出すような、そんな感覚だった。


「ありがとう、蓮加」


○○は柔らかい笑顔を浮かべ、感謝の言葉を伝えた。


彼女はいつも、何も言わずとも自分の背中を押してくれる存在だ。


その存在がどれほど大切なものか、改めて実感するのだった。


「正直ハードルは高いけど、頑張って伝えてみようって気になったよ。これで振られたら、しばらく落ち込むだろうけど」


冗談っぽく言う○○に、蓮加も笑顔を返した。


「その時は慰めてあげる」


「ああ、頼む」



「でも、その前に…」と蓮加はグラウンドの方に視線を移す。


「一応噂が本当かどうかは、史緒里に聞いてみてあげる。だから、ちゃんと伝えるんだよ?」


「うん」と○○は大きく頷いた。


グラウンドには、練習を終え片付けを始める部員たちがいた。


その中心に、率先して参加する史緒里の姿があった。


彼女の姿を遠目に見つめながら、○○は心の中で決意を固めた。




翌日の空は一転して曇り模様となり、重い灰色の雲が広がっていた。


「人の心と秋の空は変わりやすい」という言葉が頭をよぎる。


○○がぼんやりとグラウンドを眺めていると、彼のもとに一つの人影が近づいてきた。


「おい、なんつう顔してんだよ…蓮加」



蓮加は空模様にさえ映える蒼然とした表情を浮かべていた。



「史緒里に聞いてきたよ」と彼女は静かに告げた。


「キャプテンとは付き合ってないって。ただ…」


「ただ?」


○○が促すと、蓮加は微かに視線を伏せた。


「付き合ってないのは、部内恋愛が禁止だからで…その…」


蓮加は口ごもる。彼女の態度から、○○は全てを悟った。


「蓮加、もういいよ」


○○は大きく天を仰ぎ、力なく微笑む。


「そっか、やっぱりダメだったか…」


「…ごめん」


「なんで蓮加が謝るんだよ」


申し訳なさそうに俯く蓮加に、○○は微笑んだ。



「俺さ、あんまり落ち込んでないんだ」


「え?」と驚いたように顔を上げた蓮加の視線に、○○は清々しい表情を浮かべる。


「今から言うこと、最低だとか都合良いとか思うかもしれないけどさ」


○○は少し照れながら続ける。


「俺、自分が久保さんと付き合えないのは分かってたんだ」


「どういうこと…?」


蓮加が困惑した表情で尋ねると、○○は微笑みを浮かべた。


「だってさ、もっと大切な人の存在に気付いてしまったから」


少し肌寒い風が二人の間を吹き抜ける。


ほんのりと紅潮する頬は、紅葉の鮮やかさによく似ていた。

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