【さらっと。私見ですが。】バレエの歴史とフランスでの教育方針
Bonjour! こんにちは!
今回はいよいよ!ぱれすぅ〜の専門分野の話をしようと思います。
というのも、バレエ歴18年、フランスで踊りつつ学んでいる歴3年になります。
ぱれすぅ〜の場合、プロのバレエダンサーとしてではなく研究者・教育者としての側面でバレエに関わろうとしているので、プロを目指してきた時とは違う世界観でバレエを見ているように思うのです。
その中でも日々ショックを受けているのは、フランスでのバレエへの捉え方が私が経験してきた感覚とは異なること。その原因は、バレエの進化ともいうべき「時間軸」の捉え方からくるのですが、今回はその点に着目して書いていきたいと思います。
まず、バレエの歴史をざっと!
日本では、「バレエBallet」と聞くと、クラシックバレエを思い浮かべることがほとんどだと思います。このクラシックバレエの概念はロシアンバレエの影響から来ています。
例えば、日本バレエ界では次の言葉をよく耳にします。
この言葉が意味することは、
15世紀、イタリアでバレエの原型と呼ばれる「バロ」が生まれた。
※この時代舞踊教則本が出版されていて、バロックダンスに近く、綺麗に歩くための舞踊だった。
16世紀、カトリーヌ・ド・メディシスがフランス宮廷に礼儀作法の一環として持ち込んだことがきっかけで流行。「宮廷バレエ」が誕生。18世紀には、ロマン主義と相まって「ロマンチックバレエ」へと発展する。
※太陽王として有名なルイ14世は特にハマっていて、王立バレエ学校を設立するほど。学校ができたことでバレエの規則が正式に制定され(この時のバレエ用語が今では世界的な共通言語として使われている)、ダンサー育成にも繋がったことで、ダンサーが職業化する。トゥシューズ(女性が爪先立ちをするための道具)も開発され、精霊っぽいキャラが主人公の女性メインのバレエが生まれる(宮廷バレエの時は、男性中心だった)。
この18世紀のロマンチックバレエの流行は他のヨーロッパ諸国に持ち込まれることで、新たなスタイルを生み出している(例えば、デンマークの振付家ブルノンビルはパリ・オペラ座で見た演目『ラ・シルフィードLa Sylphide』に感銘を受け、自国で自分のバージョンを作っちゃって、現在では原作版よりメジャーとなっているという話も↓)。
その中でも、19世紀、とりわけロシアは大きな発展を遂げていて、フランス人振付家プティパの指導のもと、「クラシック・バレエ」のスタイルを確立させる。
※私たちが思い浮かべるチャイコフスキーの三大バレエ『白鳥の湖』『くるみ割り人形』『眠れる森の美女』は全てこの時に生まれた作品で、全てプティパ監修!
と、バレエの歴史に対する認識がここで止まっている人が多いですが、、、ここからが大事!
見逃してはならない!20世紀のバレエ
まず20世紀の開幕に欠かせない系譜が二つあります。
それは
・ディアギレフ率いる「バレエ・リュス」がワールドツアーを展開する
・イサドラ・ダンカンやロイ・フラーなどのいわゆる脱クラシックのナチュラル主義派のダンサーの誕生。彼女たちもワールドツアーをする。そして、「モダンダンス」というジャンルが生まれる。
「バレエリュス」に関しては二つの衝撃があったと考えられていて、
・ヨーロッパで色褪せていたクラシック作品を再輸入し、再流行させる(ロシアに渡ったプティパは、新作を作るだけでなく従来の作品の伝達もしていた。その中の一つ、『ジゼル』は現在パリオペラ座で上演され続けている。)
・初期はロシア固有の芸術家たちと、後期にかけてヨーロッパの前衛芸術家たちとコラボして、新たなバレエの世界観を開拓した(ストラヴィンスキーの『春の祭典』をぜひみてほしいです。バレエの概念が覆されるような感覚があります。)
また、「モダンダンス」の系譜は、クラシックバレエが定着していないとされた土地で引き継がれることとなり、アメリカを中心に舞踊の新時代へと駒を進めることになる。(モダンダンスはジャズダンスとの関わりが深い。厳密に言えば、二つともクラシックバレエの動作をベースに違うスタイルに作り直している感がある。そのほか、アメリカではジャズ音楽やハリウッド映画の影響で、タップダンスやヒップホップダンスなども生まれた。)
その後、バレエはヨーロッパ諸国で上演されるようになり、フランスではバレエリュスの影響を色濃く受ける傾向にあった(が、1980年以降変わっていく)。その一方で、ドイツでは異色の変化が連鎖していた。演劇的要素を取り入れた「表現主義舞踊」が生まれ、人間の動きを理論化したルドルフ・ラバンが舞踊譜を発明し、その概念をもとに新たな舞踊スタイルを生み出していく(ラバンの弟子のクルト・ヨースの「緑のテーブル」を見れば、その異色さは一目瞭然↓)。
1960年代、ロシア人振付家ジョージ・バランシンがアメリカに渡り、独自のスタイルを確立させたことで、「ネオクラシックバレエ」が生まれる。
すると、1970年代にはウィリアム・フォーサイス(彼もラバン理論を学び独自のスタイルを確立した一人↓)、その後イリ・キリアン、ピナ・バウシュ、ドミニク・バグエなどなど次々に新たなダンススタイルを提唱する振付家が誕生し、それを総称して「コンテンポラリー・ダンス」という言葉が誕生し、現在に至る。
フランスで感じた「バレエ」という言葉に対する違和感
ぱれすぅ〜がここまでバレエの歴史を書いた理由。それは、フランスでの「バレエ」の概念と自分の感覚とのズレの原因がここにあるように感じたからです。
日本では、「バレエ=ピンクタイツとチュチュを着て、トゥシューズで踊る」イメージ。観客から見ると、とても華やかでファンタジーの表現者という感覚がありました。
しかし、実際にフランスに来ると、そうした古典作品をやっているカンパニーは少なく、むしろパリ・オペラ座ですらも年々コンテンポラリー作品が増えています。
そして、ぱれすぅ〜自身を日々苦悩させているのは、バレエ教師を目指していてもコンテンポラリーダンスを踊れないといけないという事実。バレエ教師国家資格のための準備課程では、外部講師を呼んで1週間で振付作品を教わり、最終日に舞台で発表するというワークショップがあり、これが年に3回あります。何も知らない状態で参加していた時は気づかなかったのですが、2年目になるとあまりにコンテンポラリー作品率が高くて、かつ古典のレパートリーを全くやる機会がないので衝撃を受けました(去年は2回がコンテ、1回はネオクラシックでした)。
しかも、自分から見て圧倒的にコンテンポラリー的と思った振り付けを「ネオクラシック」と言っていた振付家の発言に違和感を感じました。私から見れば、ネオクラシックとはクラシック以上に身体の動きが明確で大きいものの、バレエの系譜が受け継がれたバランシンスタイルを想像していました。しかし、その振付は、まず足を内股にする動きがあったり、ひたすら上体をクネクネさせ、、、振付のイメージは「戦争」「恐怖」「セクシー」でファンタジー感ゼロで艶かしい印象でしたwww
また、今の学校に入る前に行っていた大学の舞踊研究科の講義でも、「バレエとはスペクタクル式の古典・現代舞踊の総称であり、クラシックバレエと同義でない」と聞いたことからも、「私の捉えていたバレエ像は違うのか」と疑問を持つようになりました。
フランスでの1980年代以降の舞踊の歴史
フランスのバレエと言われると、ほとんどの人はパリ・オペラ座をイメージすることが多いでしょう。
実は20世紀後半のパリ・オペラ座は、ロシアンバレエが大きく関わっています。
というのも、セルジュリファール(バレエリュスのメンバー)やルドルフ・ヌレエフ(ソ連時代のプリンシパルダンサーでフランスに亡命)といった人たちが芸術監督に着任していたため。その関係で、パリ・オペラ座はクラシックのレパートリーが豊富。
その一方、他のカンパニーやダンサー間では、ラング文化大臣の文化政策を皮切りに「未知の舞踊を取り入れる」動きが見られます。
とりわけ、アメリカ・ドイツの振付家を招き入れることが多かったそうです。他には、日本の暗黒舞踏も受け入れられたり、アフリカやインドの民族舞踊もやってきたり、、、。そうした流れにバレエ団が乗らないわけもなく、ネオクラシック・バレエと呼ばれるジャンルから取り入れ始め、着々とコンテンポラリー作品もレパートリーとして持つようになっていきました。
フランスでのバレエ教育の現在
校長先生に聞いたところ、フランスではもはやアカデミックなバレエよりもコンテンポラリー作品ができるダンサーの方が需要があり、クラシックの技術を知った上でコンテ用に体を築き上げる必要があるそう。
バレエ経験者は身をもってわかることと思われますが、クラシックの技術を行うためには筋肉の使い方に特殊ルールがあります。例えば、両足を常に外旋させた状態で動くために、上半身は常に引き上げて骨盤を立てる訓練をします。すると、骨盤を安定させるための筋肉が発達することで背骨の滑らか・しなやかな動きは難しくなり、コンテ作品が踊りづらい身体訓練を受けていることに。
以前ピナ・バウシュの、アフリカの踊り手とドイツのバレエダンサーがそれぞれ同じ作品をしているドキュメンタリー映画(↓)を見たときに、バレエダンサーが
「私たちは原始的な身体感覚を忘れて、ひたすら踊りの技術を学んできたから、改めてその原始的な感覚を思い出すのが難しい」と語っていました。
まさに、その通りだと思います。
つまり、フランスでは20世紀のバレエからコンテンポラリーダンスへと進化していく変遷を重要視する傾向が強くなってきており、古典作品を極める職人よりも古典と現代作品を両方踊れて、現代作品を深められる柔軟性を持った人材を求めている傾向があります。そのため、バレエ教育では今後、コンテンポラリー的な身体感覚の鋭さとクラシック特有の特殊技能の両方を育てるために、バレエ教師自身もどちらも体感し理解し導けるようになっていく必要が出てきます。
あとがき
この記事では、筆者が実際に感じたことを書いてきました。
この記事を書きながら思ったことは、
筆者がもしバレエダンサーの道を諦められずにいたら、もしかしたらコンテンポラリーダンサーになっていたのかなぁということ。
コンテと一言で言っても多種多様。20世紀末、ベジャールは革命派的なポジションでしたが、今やクラシック的と言われます。バレエダンサーを目指しパリに留学した当時、自分はひたすらアカデミックなバレエに思いを馳せていて、ダンサーの現状や観客の需要を掴みきれていなかったんだなぁと気付かされました。
しかし、筆者は今となってみればこんな鈍臭いぱれすぅ〜だからこそ、この道を必然的に選んだと思います。
なぜなら、自分のダンサーへの適正のなさは当時からずっと感じていたこと、それに反比例して勉学では自然と成長していったこと、この二つのギャップに苦しみながらももがいた青春は諦めの悪い今の自分を作り、そして、その当時思いもつかなかったような今に導いているから。
そう!今は、「ダンサーとしては成り立たない不完全な自分」だからこそできることを模索し、実際に生き生きとした感情でいられる環境にいます。舞踊の教育や研究について理論的にどうアプローチができるかを学び、ダンサーの「直感」を言語化・論理化するための能力を鍛える環境に身を投じる立場となりました。
要するに、私の目指す専門家とは「アーティストと観客(バレエとは無縁、あるいはダンサー・バレエに関わる者としての専門性を身につけようと励んでいる人たち)」を仲介できるような人で、それぞれの立場を知った上で行動できる人だと思います。
ぱれすぅ〜自身は正直なところ、直感で踊ってきたタイプではなく、動きの動作にいちいち論理を見つけて踊るタイプの人間でした。なので、ダンサーに必要な解釈の瞬発力が弱く、じっくりと分析派だったのです。
現在、この瞬発力を言語化したり、体以外の手段で表現できる人はなかなかいないように思います。ある意味、身体の神秘であり、人間の感情を読む心理学的側面もあります。
その分析に踏み込むべく、ぱれすぅ〜はダンサーとはまた違った視点での見方を提示できるようになりたい。だから、異国にて自分が学んできたものとは違う見方を持ったフランスのバレエ教育に興味を持ち、振付学と呼ばれる動作解析(舞踊譜もその一部)にも片足を突っ込んでいます。
今の経験はある種、バレエそのものに対する見方の変化だけではなく、異文化交流によって見える日本の分析でもあるように思います。日仏の違いや類似点を見た上で、自分はどうすれば今後のバレエ界に貢献できるか、を常に考えさせられているように思います。
このような構想を持って行動している現在、教育者や研究者の世界はとても魅力的でダンサー渇望よりも深い愛を持って生業としたいと思うようになりました。
今後は、現在進行形で学んでいることも具体的に文字化していきたいと思ってます。(例えば、バレエの歴史も今回ははしょって書いてるので、もっと深掘りして書きたいとウズウズしています)現在は、研究者としてバレエに限らず世界中の舞踊に興味があるのでそれに関する話もしたいですし、ご縁があれば他の舞踊ジャンルの方とも交流したいです。
では〜!