「サブカル」の名付け親は紀伊國屋書店だった!?—石丸元章が語る「サブカル」誕生秘話
阿佐ヶ谷ロフトA 『バースト・ジェネレーション』presents「90年代サブカル最高会議」(2019年5月20日)より書き起こし
出演者
ロマン優光
姫乃たま
釣崎清隆
ピスケン(欠席)
石丸元章
福田光睦
ケロッピー前田
(以下、太字は石丸元章による発言)
「サブカルチャー」っていう言葉がいつからか、って言うと、89年…おそらく本屋さんで一番最初に「サブカル」という言葉を…「サブカルチャー」という言葉を使ったのは紀伊國屋書店なんだよね。
棚がね、それまで「サブカルチャー」ってね、歴然とやっぱり「アングラカルチャー」とか「カウンターカルチャー」とか本屋さんにとっては、ちょっと置く場所が違うなって意識が多分あったんだよ。だって、それまでのさ「アングラな棚」とはちょっと違うところ。やっぱり書体であったりとか、イラストのつけ方とかだったりが、なんか今までの「アングラ」とは違うものというのが80年代中頃くらいから、80年代後半くらいかな、出てきたって意識は多分あったと思う。それで本屋さんは迷って悩んで、当初ね「ポップカルチャー」っていう棚ができたの。紀伊國屋書店に。その頃はまだ「サブカルチャー」という言葉はなかったの。
自分が覚えてるのは…89年に私は最初の本(『ウワサを追いこせ! 未確認アイドル流言報告』)をJICC出版局(現・宝島社)から出すんだけど…『投稿写真』(サン出版)に連載していたもの。その時も「サブカルチャー」って言葉はなかったの。90年代に入って紀伊國屋書店が「サブカルチャー」って言葉を使うわけ、初めて、多分。
「サブカルチャー」という言葉ってね、普通は誰かが命名して…今だと…学者系みたいな人が「草食男子」という言葉を命名しました~とかよく言うけど「サブカルチャー」って言葉はね、中森明夫さんでもなくて、もしかして紀伊國屋書店が早かったんじゃないのかなと自分は思ってるんだよね。
ケロッピー前田:あとさ『SPA!』で…あれは1991年ぐらいかな。「サブカルチャー最終戦争」(扶桑社『週刊SPA!』1991年12・25号 中森明夫総指揮・特集「サブカルチャー最終戦争」参照)の特集は有名ですよね。
でもね、それは紀伊國屋のほうが早いんだよ。
ロマン優光:だってサブカルチャーって言葉知ってましたもんね。あの特集があった当時。
誰がつけたんだっていうのは謎なんだけど、もしかしたら書店の棚として、本屋さんの感覚で、「なんか違うぞ『アングラ』ではない。『カウンター』とつけるのも、どう付けたらいいんだろう」って書店の棚の人が付けたのかもしれない。
姫乃たま:都市伝説っぽい(笑)
私当時、都市伝説が専門だったの(笑)
釣崎:サブカルチャーって言葉自体は、でも、あるわけじゃないですか。存在はしているわけで。その前から。
あるからっていうんだけど、つかだれも使っていない。
ロマン優光:紙とかで残ってないんですもんね。
残っていない。多分ね。そのへんの考証、調べっていうのはね、赤田祐一さんとかが、すごく正確に多分きちんと調べていると思う。だから、まあ、赤田さん…赤田祐一さん…ご存じだと思うけど、著書とかを読むとネーミングの発祥とかは出てくると思う。時期とかね。
あとそのエロ本からサブカルチャーの誕生に対して流れていく流れとかも…。まあ、ほら、みんな今日ここではさ、ケロッピーさんもだけど「自分史」として、そのへんを語っているわけじゃない。で、釣崎さんも私も「時代」をきちんと調べて、取材するなり、インタビューするなりして考証していることは出来ていない。だから、みんな自分史を語っている。自分史としての90年代を語っていることを、今日集めたりしているわけなんだけど。だからまあ、ピスケンとかもそういうことなわけなんだけど……………。
あ、困った…。
姫乃たま:あら?
私、何を話して良いかわかんなくなっちゃった……(笑)
姫乃たま:石丸さんも来たし、景気よく乾杯しましょう。
高次脳機能障害(笑)。
ケロッピー前田:じゃあもう一回乾杯しましょう。乾杯。
姫乃たま:乾杯、乾杯わかりますか、石丸さん? 大丈夫?
か……
誰か:石丸さん!
姫乃たま:じゃあ、お願いします。石丸さん。
乾杯していい? みなさん、よろしくお願いします。乾杯でーす。
一同:乾杯!
(拍手)
ケロッピー前田:石丸さん、盛り上げてくれてありがとうございます。
<書き起こしおわり>