ヒルコからエビスへ
私が昨年設立した会社の名前はHILUCO(ヒルコ)というのですが、これは日本の神話を由来としております。今回はこのヒルコにまつわる話をお伝えできたらと思います。
ヒルコとは日本神話において国を作った神であるイザナギとイザナミの最初の子供です。諸説ありますが、ヒルコは障害を持っていたため船に載せられて流されてしまいます。そして、流れ着いた先で信仰されることになりますが、それがヒルコ(蛭子)=えびす(恵比寿)。この恵比寿様がまつられている総本社が西宮神社です。
この西宮神社に伝わる御鎮座伝説は↓のようなものになっています。
昔々、鳴尾に住んでいた漁師が、沖で漁をしていたところ、網に大変手ごたえを感じました。喜んで引き上げてみますと、それは期待していた魚ではなく、今まで見たこともないものでした。よく見ると人形のような、又御神像の様にも見えましたが、魚ではないので海にもどしてしまい、また魚の群れを求め、西の方へと船を進めてゆきました。なかなかえものに恵まれず、今の神戸の和田岬の辺りまで来て、なかばあきらめながら網を入れたところ、再び大変な手応えを感じ、今度こそはと勇んで網を引き上げてみると、何とそれは先程海にもどしたはずの、あの御神像の様に見えたものでありました。
ここに出てくる鳴尾とは今も存在する地名で、兵庫県の西宮市にあります。そこから神戸の和田岬というところまで流れ着いて引き上げられたようです。
漁師は瞬時に、これは徒事ではないと確信し、漁をきりあげ、御神像を丁寧に布にくるみ、家に持ち帰りました。粗末な家ではありましたが、漁師はその像の為に床をしつらえ、朝な夕なにお供え物をし、お祀りすることになりました。
しばらくたったある日、いつもの様に夕方のお供えをして、自分も夕食をとり、やがて眠りにつきました。その夜の夢の中に、お祀りしている御神像が現れ、「吾は蛭児の神である。日頃丁寧に祀ってもらって有り難いが、ここより西の方に良き宮地がある。そこに遷し宮居を建て改めて祀ってもらいたい。」との御神託があったのです。
このように漁師が引き上げた御神像が蛭児(ヒルコ)の神様だったようです。そして神戸ではなく西宮の地に祀ってもらいたいというようなお達しがあったようです。
蛭児の神。それは神代の昔、伊邪那岐伊邪那美二柱の大神が久美度に興して生み給いし御子。日本書紀によると、三歳になるまで足が立たなかった不具の子であったとも云われています。伊邪那岐伊邪那美二柱の神は、吾が子をあわれと思いつつも、葦船に入れて茅渟の海へ流してしまわれたのです。
その蛭児の神、葦船に乗せて流された蛭児の神が、再び茅渟の海から出現されたのです。平安の御代に力強くよみがえった蛭児の大神、この神が西宮えびす大神として茅渟の海、今の大阪湾岸をうしはく神として、海に生業の道を求める人々はもとより、開けつつある街の人々の、絶大なる信仰を集めてゆくのです。
このように蛭児は神戸から西の西宮の地に祀られることになるのですが、場所としては大阪にも非常に近く漁業など海にまつわる仕事を行う人々にとっては信仰の対象になりやすかったのでしょう。
さて鳴尾の漁師は恐れ謹み、漁師仲間と相談し、蛭児大神を輿にお乗せし、御神託の通り西の方、良き宮地を求めて出立しました。途中いく度か輿を下ろし休憩して行きましたが、ある所で一休みされたえびす様が、よほどお疲れになったか眠り込んでしまわれ、なかなかお目覚めになりません。困った漁師たちは、恐れ多いとは思いましたが、えびす様のお尻を捻ってお目を覚ましていただき、再び西へ向って進まれたという話も残っています。その御輿を置いて一休みされたといわれている処が、ここより東へ二百米程の札場筋角にある御輿屋跡地(おこしやあとち)といわれているところなのです。この様にして海より甦った蛭児の神は、えびす様としてこの西宮の地にお鎮まりになったのです。
このようにヒルコはエビス様として現在も祀られ続けています。個人的にもこのような由来があることから何か事業で悩んでいるときなどは西宮神社をたずねることもあります。未来の世の中を読むことはできないので、どこかで心の拠り所になる場所があると迷いを乗り越えて進むこともできるかもしれません。
たまには日本の歴史や神話なども読んでみてはいかがでしょうか?グローバルな時代で今後海外の人とも交流する機会もあるかもしれないので話題の1つにもなるかもしれません。
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